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イスラマバード(、)は、パキスタンの首都。イスラーマーバードとも呼ばれるが、日本では長母音を無視したイスラマバードの名で広く知られている。 南アジア有数の世界都市であり、2008年にはイギリスのシンクタンク「グローバリゼーションと世界都市研究ネットワーク」によって第3級世界都市と評価された。1951年の人口は約9万4千人であったが、2009年には約120万人となり〔http://www.dawn.com/wps/wcm/connect/dawn-content-library/dawn/the-newspaper/editorial/poor-police-performance-460〕、パキスタンで10番目の人口の都市に成長した。「ラーワルピンディー・イスラマバード都市圏」の人口は297万人(2011年)であり、世界第124位、パキスタン第3位の人口を有する都市圏を形成している。名前は「イスラームの都市」の意味を持つ。 == 歴史 == イスラマバードのあるイスラーマーバード首都圏はマルガラ丘陵麓のポトワール高原に位置しカイバル・パクトゥンクワ州とパンジャーブ州の結節点にあたる。石器時代初期から人間が定住していたと思われ多くの出土品がある。インダス文明の辺縁に位置しアーリア人が最初に入植した地域の一つである。アレクサンドロス3世(大王)からチンギス・カン、ティムール、アフマド・シャー・ドゥッラーニーに至る多くの軍がイスラーマーバード一帯の回廊を通ってインド亜大陸に侵攻していった。 今日のイスラマバードの元はサイドプルと呼ばれた町である。サイドプルはおよそ500年前のバーブルの治世にマルガラ丘陵の斜面に作られた。1849年、イギリスはサイドプルをシク教徒から奪うとここに兵舎を構えた。 1947年にパキスタンが独立した当初、首都はカラチに置かれたが、パキスタン最初の軍人大統領のは国土の南端に位置するカラチへの一極集中を是正する必要に迫られた。防衛的観点からは、カラチはアラビア海に近すぎ、領土紛争を抱えるカシミールから遠すぎた。1959年6月にパキスタンの首都としてイスラマバードの地が選定された。陸軍司令部のあるラーワルピンディーからの近さも選定理由であった。1961年に開発が開始。ギリシャの都市計画家・コンスタンティノス・ドキシアディスがマスタープランを担当した。イスラマバードは人工都市であり、北にあるマルガラ丘陵を頂点と見立てた三角形の都市の中に碁盤の目のような街路を持つ。イスラマバード建設中の1969年までは首都は暫定的にラーワルピンディーに置かれた。 2005年のパキスタン地震ではイスラマバードも被害を受けた。近年は2008年デンマーク大使館爆発事件やイスラマバード・マリオット・ホテル爆破テロ事件などのテロが起きている。2010年にはエアブルー202便墜落事故が郊外で起きている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イスラマバード」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Islamabad 」があります。 スポンサード リンク
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