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イスラーム建築(, )は、草創期から現代に至るまでに、イスラームの人々によって生み出された建築である。ムスリム建築、ムハンマダン建築とも呼ばれる。たいへん多様な建築であり、建築材料も建築技術も多岐にわたるが、一定の統合的な原理を持ち、また、古代建築の特徴を西洋建築よりも色濃く受け継いでいる。 イスラーム文化の領域内においては、モスク、ミナレット、ミフラーブ、ムカルナスなどの施設が採用されたため、建築のデザインや構成は地域性を超えて大きな影響を受けた。また、イスラームでは偶像崇拝が禁止されていたため幾何学模様と文字装飾が発展し、美しいアラベスクやカリグラフィーがイスラーム建築を彩っている。 ここでは、イスラーム建築をいくつかの地域に分け、その変遷の歴史を展開した上で、構成要素を展開する。現代イスラーム建築についても、簡単に触れる。 == 概説 == イスラーム建築とは、7世紀から18世紀、ないしは19世紀までの期間に、イスラーム文化圏で形成された建築を指している。現代のイスラーム世界の建築は、現代建築としてこの言説では触れられないこともある。ほぼ1200年に渡る時間と、世界の半分と言ってもよいほどの地域を占めており、その意匠はイスラームを信奉する民族と同じほど多様性を持つと言っても過言ではない。ただし、イスラームは宗教であると同時に社会構造であると言ってもよく、このため、イスラーム建築には地域性を超えた、共通した特質が認められる。 イスラーム建築は、カロリング朝滅亡の後に古代と断絶したヨーロッパ諸国の建築に比べ、古代建築の諸形態をよく受け継ぎ、今日に至るまで維持してきた。このため、イスラーム建築の形態は、おおまかに、南西部アナトリア半島から北部シリア、パレスティナ、エジプト、リビア沿岸部から北アフリカ西部までのかつてのローマ帝国および東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の支配地域と、メソポタミア、アフガニスタン、パキスタンなどのサーサーン朝ペルシャ帝国の支配地域に分けることができる。 アッバース朝滅亡の後に勃興し、あるいは衰退していったイスラーム諸国は、特定の宗教施設、社会施設を導入し続けた。これについては、少なくともウマイヤ朝の成立からアッバース朝が滅亡するまでの間は、ローマ式の社会制度と建築施設を各地に建設し続けたローマ建築と状況はよく似ている。実際に、礼拝モスク、ミナレット、ミフラーブ、ムカルナスなどの施設はイスラーム建築の最も目立つ共通性となっている。 イスラーム建築の歴史については、便宜的に次のように区分することができる。つまり、「前古典期」あるいは「形成期」、「古典期」、「ポスト古典期」である。「形成期」は、イスラームが生まれる前の建築を積極的に導入し、同化していった時期で、ウマイヤ朝、アッバース朝、初期ファーティマ朝、後ウマイヤ朝、そしてサーマーン朝、ガズナ朝、初期セルジューク朝の建築がこれにあたる。「古典期」は、ムカルナスと尖頭アーチが普及していった時期で、建築技法や建築形態は、国や民族の壁を超えて自由に交錯した。「ポスト古典期」は、イスラーム建築の(現代イスラーム建築を除く)最後の改変期で、オスマン帝国とサファヴィー朝、そしてムガル朝の建築のことである。これらの巨大勢力の建築は、地理的に隣接しているにもかかわらず相互に全く影響を及ぼさなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イスラーム建築」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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