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イタリアの降伏 : ウィキペディア日本語版
イタリアの降伏[いたりあのごうぶく]

第二次世界大戦におけるイタリアの降伏では、第二次世界大戦中の1943年9月8日に、イタリア王国連合国と締結していた休戦協定を発表して枢軸国から離脱し、降伏に至った経緯を記述する。イタリアの動きを事前に察知していたナチス・ドイツは、この発表の直後にイタリア半島およびその他のイタリア勢力圏を速やかに制圧。イタリア本土では南部から侵攻する連合国軍と、北部のドイツ軍およびその傀儡のイタリア社会共和国との、イタリア戦線が構築された。休戦についてイタリア語では調印を行われた場所から、''Armistizio di Cassibile''(カッシビレの休戦)か、もしくは、''Armistizio dell'8 Settembre'' (9月8日の休戦、あるいは''8 Settembre''『9月8日』)と記載される。
==背景==

=== 連合国の無条件降伏方針 ===
1943年1月24日、米英首脳はカサブランカ会談後の共同記者会見において、枢軸国に対して一切の和平交渉を拒絶し、無条件降伏を唯一の戦争終結とするという原則を表明した。この案は軍や国務省を除くアメリカ政府内での検討によるものであり、第一次世界大戦の終結が降伏という形を取らなかったためにドイツ人は敗戦を受け止めず今次の大戦に至ったという考えと、ソビエト連邦に対独戦を最後まで戦い抜くというメッセージを伝える目的によるものであった。
この考えにはフランクリン・ルーズベルト大統領も強く同意していた。当初イギリスのウィンストン・チャーチル首相はイタリアの枢軸国側からの離脱をさそうため、一律での無条件降伏路線には反対であった。しかしイギリスの戦時内閣はイタリアの例外化に否定的であり、結局イタリアも含めた形で発表された。当時アメリカ側はイギリスが対日戦において単独講和する可能性があるという疑念を持っており、当初無条件降伏路線自体に賛成ではなかったイギリスがルーズベルト提案に賛成したのは、その疑念を晴らすためという面が強かった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イタリアの降伏」の詳細全文を読む



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