翻訳と辞書 |
逸ノ城駿[いちのじょう たかし]
逸ノ城 駿(いちのじょう たかし、1993年4月7日 - )は、モンゴル国アルハンガイ県出身で、湊部屋所属の現役大相撲力士。本名はアルタンホヤギーン・イチンノロブ(モンゴル語キリル文字表記:、ラテン文字転写:''Altankhuyagiin Ichinnorow'')。身長193cm、体重214kg〔新入幕逸ノ城 大器の雰囲気漂う DairySportsOnline 2014年9月12日〕〔因みに家族も長身揃いであり、父の身長は190cm、母は178cmもある(『大相撲ジャーナル』 2014年4月号 104頁)。〕で、2015年3月場所現在、関取で最重量。血液型はA型。最高位は西関脇(2014年11月場所、2015年1月場所、7月場所)。''、ラテン文字転写:''Altankhuyagiin Ichinnorow'')。身長193cm、体重214kg〔新入幕逸ノ城 大器の雰囲気漂う DairySportsOnline 2014年9月12日〕〔因みに家族も長身揃いであり、父の身長は190cm、母は178cmもある(『大相撲ジャーナル』 2014年4月号 104頁)。〕で、2015年3月場所現在、関取で最重量。血液型はA型。最高位は西関脇(2014年11月場所、2015年1月場所、7月場所)。 == 来歴 ==
=== 遊牧民時代 === モンゴル在住時代は遊牧民であり、ウランバートルから400キロ離れた草原でヒツジやヤギなど家畜を飼いながら季節によって移動して生活していた。当時は馬の生乳を毎日2リットル飲んでいた。学校がある時期は弟と妹と共に自宅のゲルから20キロ離れた学校のある村のゲルで共同生活を送った〔逸ノ城 100年ぶり新入幕優勝だ~! 1敗キープで白鵬追走勝ち越し 2014年9月23日 中日スポーツ〕。「ヒツジを狙ったオオカミがやって来たときなど、夜中に起きなければならなかったのが大変だった。でも馬に乗って走ることとか、楽しかった」と母国モンゴルでの少年時代を本人は述懐したことがある〔モンゴルから大型力士 新十両の21歳、逸ノ城 2014年4月19日 Sankei Photo〕。幼少期よりブフ(モンゴル相撲)に親しんでおり、14歳の時にアルハンガイ県大会で優勝した実績を持つ。来日直前の3ヶ月間はウランバートルに住んで柔道もしていたが、2010年に鳥取城北高校相撲部の石浦外喜義監督に才能を見出されて来日し、同高校に相撲留学した。なお、逸ノ城より一足先に大相撲に入門した照ノ富士は同じ柔道道場に通い、同じ飛行機で来日し高校の寮も同じ部屋という仲だった〔ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年11月号(九州場所展望号) 6~10頁〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「逸ノ城駿」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|