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イナリトウザイとは日本のアングロアラブ競走馬である。サラブレッドを相手に重賞を含む複数の競走で勝利を収め、「アラブの魔女」と称された。アラブ血量は25パーセント。 == 概要 == 1973年6月に中央競馬でデビュー。圧倒的な快速振りでアングロアラブ限定戦を3連勝(うち2レースはレコードタイム)を収めた後はサラブレッドを相手にレースをするようになり、サラブレッドオープンクラスのレースで3連勝(うち1レースはレコードタイム)を収めた。この実績によって1973年度の優駿賞最優秀アラブを受賞した。なお、のちの桜花賞馬であるタカエノカオリを破っている。 翌1974年は中央競馬のオープンクラスで4戦(1勝)した後に地方競馬(大井競馬場)へ移籍。当時は地方競馬のアラブのレベルは高く、また番組も中央に比べて多く組まれていたこともあり、この移籍は決して都落ちではなく更なる高みを目指すためのものであった。移籍後2連勝の後南関東アラブ三冠のひとつであるアラブダービーを優勝し、さらにサラブレッドを相手にオープン特別を優勝。続くアラブ王冠賞(南関東アラブ三冠レースのひとつ)ではイナリトウザイとの対戦を回避する馬が続出し、出走頭数不足により競走取り止めとなった。アラブ王冠の代替レースとして陣営はサラブレッドの重賞・東京盃への出走を決定、1969年にヤシマナシヨナルが樹立したコースレコードを大きく更新する1分10秒5のタイムで優勝した。なおこのタイムは、当時の東京競馬場芝1200メートルのレコードタイムより0秒3も速く、記録員は最初「時計が壊れたか」と思ったそうである〔寺山修司・著『競馬放浪記』〜アラブの魔女〜より〕。しかし、その後、担当厩務員が原爆症に起因する白血病で入院するなど不運なアクシデントが重なった事で本調子を欠き、暮れの全日本アラブ大賞典に出走したものの5着に敗退(勝ち馬はポートスーダン)。 1975年1月のレースを最後に競走馬を引退し、繁殖牝馬となった。産駒からアングロアラブのリーディングサイアーに4度輝いたキタノトウザイなど、4頭の種牡馬を輩出。牝系も、殆どの産駒が勝ち星を挙げるなど、繁殖馬として自らの優れた能力を後世に伝えた。 1999年、NARグランプリの特別表彰馬に選出された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イナリトウザイ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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