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イバン・クルーズ(Luis Iván Cruz , 1968年5月3日 - )は、プエルトリコ出身の元プロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == コレージオ・サンティアゴ高校、ジャクソンビル大学を経て、のMLBドラフト28巡目でデトロイト・タイガースに指名され契約。にニューヨーク・ヤンキースでメジャー初昇格。にピッツバーグ・パイレーツに移籍。マイナーリーグではと1997年にヤンキース傘下(当時)のAAA級コロンバスで主軸として活躍するなどしたが、メジャーでは好成績を残すことはできなかった。 に阪神タイガースにエドゥアルド・ペレスと共に入団。当時打撃力が不足していた阪神のチーム事情から、「大砲」として期待されての入団であった。オープン戦では19試合で打率.385、7本塁打、14打点と好成績を残し、それまで度々外国人選手に裏切られてきた事情から、ファンやマスコミから「バースの再来」と騒がれた。 巨人との東京ドームでの開幕2戦目で、ダレル・メイからバックスクリーンに特大アーチを放つなど「今回こそは本物」と言われたものの、その後は低打率に喘ぐ。また、シーズン途中に左肩を負傷し、その後も試合に出場したものの状態は悪化。左肩関節唇損傷と診断され治療のため帰国してしまった。不調だったが怪我の回復次第では残留の可能性もあったが、結局同年オフに解雇された。 この年に放った14本の本塁打のうち7本は対巨人戦でのものだった。6月9日の対巨人戦(東京ドーム)でこの年一番の活躍とも言える1試合に3本の本塁打を放ったが、同じ試合で清原和博も3本の本塁打を放ち、なおかつチームは敗れたためあまり目立たなかった。 はセントルイス・カージナルス傘下のAAA級メンフィスに所属し、メジャー昇格を果たす。 に中日ドラゴンズに入団。2001年に所属した阪神と同様に打撃力不足に悩む中日でも「大砲」として期待された。2001年同様オープン戦では活躍するも開幕後は成績を残せず、オフに退団。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イバン・クルーズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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