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エバン・マイケル・ロンゴリア(Evan Michael Longoria, 1985年10月7日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ダウニー出身のプロ野球選手(三塁手)。右投右打。現在は、MLBのタンパベイ・レイズに所属している。 == 経歴 == 1985年10月7日にカリフォルニア州ダウニーで生まれる。子供のころ憧れていた選手はアレックス・ロドリゲスだった〔Michael Silverman著 木村愛 訳「エバン・ロンゴリア 超大物新人現る !」『スラッガー』2008年7月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-7、58 - 59頁〕。高校はセントジョン・ボスコ高等学校へ、大学はリオ・ホンドコミュニティーカレッジへ進学した。1年生の時に素質が開花し、2年生からはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校へ特待生として編入。トロイ・トゥロウィツキーが遊撃手にいたため三塁手へコンバートした〔。にはMVPを獲得。 タンパベイ・デビルレイズはロンゴリアをカール・クロフォード、B・J・アップトンに次ぐ存在になると判断し〔、にドラフト1巡目(全体3番目)で指名。 は、2Aで105試合で打率.307、21本塁打の記録を残し、3Aのダラム・ブルズまで順調に昇格した。マイナーでは主に三塁手を務めており、ロンゴリアが期待通り成長したことにより、ポジションを空ける為に2007年までレイズの正三塁手だった岩村明憲がセカンドへコンバートされた〔。 開幕時はマイナーで迎えたものの4月12日にそれまで三塁手を務めていたウィリー・アイバーの故障に伴いメジャー初昇格を果たした。昇格した当日のボルチモア・オリオールズ戦で三塁手として先発出場し、メジャーデビュー。3打数1安打1四球という内容だった。4月14日のニューヨーク・ヤンキース戦ではブライアン・ブルーニーからメジャー初本塁打を放った。レイズはその素質を高く評価し、4月18日に2013年までの6年総額1750万ドル、3年のオプションを含めると9年総額4400万ドル超で契約延長をした。オールスター選出選手の発表後、大リーグ公式サイト上で "32番目の男" を決める最終投票が開始され、ロンゴリアはジャーメイン・ダイを破り、オールスター初選出を果たした。 チームの5番打者に定着。死球による怪我で一時離脱したが、復帰後は4番を任され、レイズは球団初の地区優勝を果たした。シーズン終了後、アメリカンリーグの三塁手としては4人目の新人王を受賞した。満票での選出は1997年のノマー・ガルシアパーラ以来、MLB史上7人目。 2009 ワールド・ベースボール・クラシック・アメリカ合衆国代表から落選したが、負傷したチッパー・ジョーンズの代役として追加招集された。日本戦の8回表に代打で出場したが、空振り三振に終わった。レギューラーシーズンでは、4月の月間MVPに選出され、その間に2度の週間MVPに選出された。オールスターの投票では、三塁手としてリーグ最多の票を集めての選出となったが、右手薬指の感染症のため試合を欠場した。157試合の出場で打率.281・33本塁打・113打点を記録し、シーズン終了後にはゴールドグラブ賞とシルバースラッガー賞を受賞した。 は、シーズン前半が終了した時点で.300を超える打率と61打点をマーク。この活躍から、2年連続でヤンキースのアレックス・ロドリゲスに100万票以上の大差をつけ、オールスターにファン投票で選出された〔。シーズン通じては、9月に大腿四頭筋を痛めた影響から故障者リストに入ったが〔、打率.294・22本塁打・104打点という成績を記録。本塁打は自己最低の数字に終わったが、安打・二塁打・三塁打・四球・盗塁・出塁率など、多くの部門で自己ベストの数字を叩き出した。また、チームリーダーとして6月27日に怠慢なプレイを見せた年上のB・J・アップトンに物申し、高い評価を得た〔。3年目のこの年、初めて盗塁死を記録した。 はBABIPが前年より1割近く低い.239だったこともあり、打率は自己最低の.244だった。しかし、四球率は過去最高、三振率は過去最低と打撃の内容自体は優れていた。シーズン最終戦のヤンキース戦ではサヨナラ本塁打を放ち、ボストン・レッドソックスを大逆転で交わしてのワイルドカード獲得を決めた。 は前年同様、主砲として出場していたが、4月30日に二塁にスライディングした際に、右ハムストリングを壊し、全治6週間から8週間の重症をおい、60日間のDL入りとなった。その結果、自己最少の74試合しか出場できなかった。しかし、球団はロンゴリアの存在を不可欠の物と捉え、11月26日に2017年から2022年まで6年総額1億ドルで契約を延長した(2023年は球団オプション)〔Rays Extend Evan Longoria MLBTradeRumors.com〕。 は復活し、自己最多の160試合に出場。打率.269・32本塁打(自身3度目の30本以上)・88打点・1盗塁という成績を残した。一方で自己ワーストとなる162三振(リーグワースト6位)を喫した。守備面では11失策を犯したが、サードでの守備率.972はキャリアで最も優れた数値だった。 、全162試合にフル出場した。打率.253・22本塁打・91打点(3年ぶりの90打点以上)・5盗塁という成績を記録したが、長打と四球が減少した事で長打率及び出塁率も低下。OPSが0.800に届かなかったのは、規定打席到達/未達にかかわらず、ロンゴリアにとって初めての事であった。 オフの11月7日に、日米野球2014のMLB選抜に選出された事が発表された〔 侍ジャパン公式サイト (2014年11月7日) 2015年3月26日閲覧〕。 9月2日のボルチモア・オリオールズ戦、通算200本塁打を達成した(同じ日にライアン・ジマーマンも同じ記録を達成)。最終的には3年連続160試合以上でプレーするタフさを発揮したが、本塁打と打点は前年から更に低下し、それぞれ20本塁打と70打点をクリアするのがやっとだった。また、守備力の低下も進み、エラーこそ3シーズンぶりに10未満に留めたが、DRSは - 2だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エバン・ロンゴリア」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Evan Longoria 」があります。 スポンサード リンク
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