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『イフ』(''If'')はアメリカ合衆国のSF雑誌である。1952年5月にクイン社のジェイムズ・L・クインによって創刊された。当初は月刊で発行された。初代編集長としてポール・W・フェアマンが雇用されたが、売れ行きが芳しくなかったためたったの3号で彼は解雇された。その後はクイン自らが編集長の役を果たした。彼は1958年末までその仕事を続けた(ただし1953年中期以降はラリー・ショーが実質的に編集長を継いでいた)。1958年にデーモン・ナイトが編集長となったが、その3号後にクインは雑誌をギャラクシー社のロバート・グインに売却した。 ギャラクシー社の選んだ新編集長はホレース・L・ゴールドで、彼は『ギャラクシー』誌の編集長でもあった。2年後にフレデリック・ポールがその地位を引き継ぎ、ポールの采配の下で『イフ』誌は大成功の時代を迎えた。1966年から68年の3年間に渡り『イフ』誌はヒューゴー賞ベスト商業誌部門を受賞している。1966年にグインは自分が経営する全ての雑誌をUPD社に売却した。F・ポールは編集をやめて作家業に戻った。続くエイラー・ヤコブソン編集長の下では雑誌は低調となり、売り上げは激減し、刊行は隔月になった。1974年にジム・ビーンが編集長となったが、紙の値段の高騰のためUPD社はSF雑誌を2つも維持できなくなり、本誌は74年12月号(通算175号)を最後に、より古い『ギャラクシー』に統合された。 『イフ』は第一級のSF雑誌とまでは見なされていないが、それなりの成功を遂げた。22年間の歴史の中でロバート・A・ハインラインの長編『月は無慈悲な夜の女王』、ハーラン・エリスンの短編「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」など多くの有名賞受賞作を世に送り出した。この雑誌からデビューした著名作家も何人かいる。そのうち最高の成功者は「いちばん寒い場所」を引っさげて1964年12月号に登場したラリー・ニーヴンであろう。 ==背景== SFの出版は1920年代以前から行なわれていたが、このジャンルが独立な市場を形成するのは1926年、すなわちヒューゴー・ガーンズバックがパルプ雑誌『アメージング・ストーリーズ』を創刊してからのことである。1930年代の終わりまでには第一次のブームが到来したが〔Nicholls & Clute, "Genre SF"; Edwards & Nicholls, "Astounding Science-Fiction"; Stableford, "Amazing Stories"; Edwards & Nicholls, "SF Magazines", all in Nicholls & Clute, "Encyclopedia of Science Fiction".〕、第二次世界大戦による紙不足のため何誌かが廃刊となった。市場の活気は1940年代末期までには回復した〔Edwards & Nicholls, "SF Magazines", in Nicholls & Clute, ''Encyclopedia of Science Fiction'', p. 1068.〕。1946年には8誌であったSF雑誌は1950年には20誌に、1954年には22誌にまで増加したのである〔Ashley, ''History of the Science Fiction Magazine Vol. 3'', pp. 323–325.〕。『イフ』は、この第二次ブームの最中に創刊された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イフ (雑誌)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 If (magazine) 」があります。 スポンサード リンク
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