翻訳と辞書
Words near each other
・ イブラン家
・ イブラーヒーム
・ イブラーヒーム (アフシャール朝)
・ イブラーヒーム (ウマイヤ朝)
・ イブラーヒーム (クルアーン)
・ イブラーヒーム (ムガル皇帝)
・ イブラーヒーム・アフマド・アブドゥル=サッタール・ムハンマド
・ イブラーヒーム・アブドゥッ=サッタール・ムハンマド
・ イブラーヒーム・アル=ジャアファリー
・ イブラーヒーム・クリー・クトゥブ・シャー
イブラーヒーム・シャー
・ イブラーヒーム・パシャ
・ イブラーヒーム・ローディー
・ イブラ音楽財団
・ イブリアスコン
・ イブリアスコン共同企業体
・ イブリツモマブ チウキセタン
・ イブリン
・ イブリン・キング
・ イブリン・コリヤー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

イブラーヒーム・シャー : ウィキペディア日本語版
イブラーヒーム・シャー
イブラーヒーム・シャー(Ibrahim Shah, 生年不詳 - 1567年/1568年)は、北インドスール朝の第5代君主(在位:1555年)。
== 生涯 ==
イブラーヒーム・シャーはアーグラを統治していた。彼はまた、スール朝の君主イスラーム・シャーの娘婿であった。
1554年末、イスラーム・シャーが没し、息子フィールーズ・シャーが王位を継承したが、一カ月足らずでムハンマド・アーディル・シャーによって殺害された〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.181〕。
1555年、アーディル・シャーの姉妹の夫であるイブラーヒーム・シャーは反乱を起こし、アーディル・シャーの軍を破り、デリーを占拠した。だが、イブラーヒーム・シャーはシカンダル・シャーの軍勢にアーグラ付近で敗れ、彼もまたデリーを追われた〔Majumdar, R.C. (ed.) (2007). ''The Mughul Empire'', Mumbai: Bharatiya Vidya Bhavan, ,pp.94-6〕。
一方、東部へと追われたアーディル・シャーはその地を領土としていたが、デリーを追われてきたイブラーヒーム・シャーはその地に侵入した。だが、イブラーヒーム・シャーはヘームーによって、カールピーカーンワーで二度にわたって破られ、バヤーナーの城へと逃げ込んた。
だが、ヘームーはバヤーナーの城を包囲し、イブラーヒーム・シャーは籠城を余儀なくされた。その間、ベンガルを統治していたムハンマド・ハーン・スーリーがカールピーに接近してきたため、バヤーナーを包囲していたヘームーを呼び戻したため、難を逃れた。
その後、イブラーヒーム・シャーはオリッサ方面へと逃げ、1567年から1568年の間に没したという〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イブラーヒーム・シャー」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.