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イブン・ハズム イブン・ハズム (أبو محمد علي بن احمد بن سعيد بن حزم, Ibn Hazm, 994年11月7日 - 1064年8月15日)は、中世イスラーム世界の後ウマイヤ朝の人物。神学者、法学者、詩人。本名はアリー。通り名は、アブー・ムハンマド。 == 生涯 == コルドバの名家に生まれる。父アフマドは、後ウマイヤ朝のカリフであるヒシャーム2世に仕える宰相だった。家庭では多くの侍女にかしずかれて育ち、この時の経験がのちの著作『鳩の頚飾り』に影響を与える。後ウマイヤ朝の内紛によりコルドバを逃れ、カリフのアブド・アッラフマーン4世やアブド・アッラフマーン5世、ヒシャーム3世の宰相となるが、動乱のために数度の投獄を受ける。 イスラーム法学ではザーヒル派( Ẓāhirī )に属し、クルアーンやハディースの内容を固守する論客だった。類推(キヤース)、個人的見解(ラーイ)、合意(イジュマー)などによる妥協を認める学説に反対し、当時のアンダルスで支配的だったマーリク派の法学者たちを攻撃したため、迫害を受ける。神学や法学を中心に400篇近い著述をしたとされるが、大半は存命中にセビリアで焼き捨てられ、ニエブラ( Niebla )で死去した。 代表的な著作として、ユダヤ教、キリスト教、イスラームについて書いた『諸宗派に関する書』(Al Kitab al-Muhallā bi'l Athār)がある。現存する唯一の文芸作品であり、恋愛論でもある『鳩の頚飾り』(Ṭawq al-Ḥamāmah)は、死後8世紀以上たってからライデン大学で写本が発見され、各国語に訳されている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イブン・ハズム」の詳細全文を読む
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