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アフマド・イブン・ファドラーン
アフマド・イブン・ファドラーン・イブン・アル=アッバース・イブン・ラーシド・イブン・ハンマード(ラテン文字表記:Ahmad ibn Fadlān ibn al-Abbās ibn Rāšid ibn Hammād, )は10世紀のアラブ人の旅行家であり、アッバース朝カリフがヴォルガ・ブルガール王に派遣した使節団に加わった際に記した見聞録〔日本語訳は、家島彦一訳註『イブン・ファドラーンのヴォルガ・ブルガール旅行記』東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、1969年3月、再刊『ヴォルガ・ブルガール旅行記』平凡社東洋文庫、2009年9月〕で知られる。彼の見聞録は、船葬(:en:ship burial)の目撃を含む、ヴォルガのヴァリャーグ(ルーシ・カガン国)についての報告で有名である。 ==写本の伝承== 長い間に渡り、報告書は不完全な版のみが知られていた。これはヤークートの地理辞典(イティル、バシキール人、ヴォルガ・ブルガール、ハザール、ホラズムの項目)に引用されたもので、Fraehnが1823年に出版した。1923年に入り、バシキール人の血を引くテュルク系学者ゼキ・ヴェリディ・トガンによって、イランのマシュハドのアースターネ・クドゥス・ラザヴィー国立図書館(:en:Astane Quds Museum)でとある写本が発見された。 MS 5229写本は13世紀 ( ヒジュラ暦7世紀)まで遡り、ページ数は420(210枚のフォリオ〈紙〉)にわたる。地理的な論文の他に、これはより完全な版のイブン・ファドラーンのテキストを含む。(pp. 390–420) 。 MS 5229写本に保存されていない追加節は、16世紀のペルシア人地理学者アミーン・ラーズィーの''Haft Iqlīm'' ("7つの階梯")という作品に引用されている。
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ahmad ibn Fadlan 」があります。
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