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イブン・ハルドゥーン
イブン・ハルドゥーン〔全名はワリー・アッ=ディーン・アブー・ザイド・アブドゥッラフマーン・イブン・ムハンマド・イブン・ムハンマド・イブン・アル=ハサン・イブン・ジャービル・イブン・ムハンマド・イブン・イブラーヒーム・イブン・アブドゥッラフマーン・イブン・ハーリド(ハルドゥーン)・アル=ハドラミー()。〕 (, , 1332年5月27日 - 1406年3月19日)は中世のイスラーム世界を代表的する歴史家、思想家、政治家。イスラーム世界最大の学者とも呼ばれる〔私市編『アルジェリアを知るための62章』明石書店 2009、 72頁〕。 == 出自 == 南アラビアのハドラマウト(現イエメン共和国領の都市)出身のアラブ人ワーイル族を祖先とする〔森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、73頁〕。ハルドゥーン家の始祖は8世紀にアラブの征服事業の一環であるイベリア半島遠征に従軍し、以降ハルドゥーン家の人間はアンダルスに定住する。9世紀にはハルドゥーン家はセビリアの有力貴族として力をつけ、1248年のセビリア陥落直前まで、一族はセビリアを統治したイスラーム系王朝の下で支配貴族の地位を保った。セビリア陥落の直前にハルドゥーン家はイフリーキヤ(現在のチュニジア、アルジェリア東部にあたる地域)のハフス朝の首都チュニスに亡命、かつてムワッヒド朝でセビリア太守を務めていたハフス朝の創始者アブー・ザカリーヤー1世の庇護を受ける。 ハルドゥーンの祖父ムハンマド(? - 1337年)は高位への登用を断り、隠棲して神秘主義(スーフィズム)に没頭する、宗教的な生活を送った。この祖父の影響を受けてハルドゥーンの父ムハンマド(? - 1349年)も学問に没頭し、クルアーン、イスラーム法学(シャリーア)、アラビア語文法、作詩の知識を習得した〔森本『イブン=ハルドゥーン』(講談社学術文庫)、75頁〕。
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ibn Khaldun 」があります。
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