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イメルダ夫人 : ウィキペディア日本語版
イメルダ・マルコス

イメルダ・マルコス(Imelda Romuáldez Marcos、1929年7月2日 - )は、フィリピン共和国の政治家。第10代大統領フェルディナンド・マルコス夫人。下院議員。党首。マニラ首都圏知事、環境住居大臣を務めた。鋼の蝶()〔または鉄の蝶()という異名がある。
== 略歴 ==

=== 生い立ち ===
1929年、弁護士ヴィセンテ・ロムアルデスと後妻レミディオスの長女としてアメリカ植民地であったフィリピンのマニラで生まれる。イメルダには腹違いの兄姉が5人おり〔ペドロサ(1986年)66頁〕、その後 弟と妹が5人できた〔ペドロサ(1986年)86頁-97頁〕。1歳違いの弟にがいる〔。
1938年、8歳のイメルダは母レミディオスを肺炎で失い、同じころ、父ヴィセンテの弁護士の仕事も減少した。ヴィセンテは生活上の困難のため出身地レイテ島タクロバンに家族と帰り、イメルダは思春期をタクロバンで過ごすこととなった。生活は厳しくイメルダは母の形見の装飾品を売って家計の足しにしていた。1938年から1948年の高校卒業まではタクロバンのホーリー・インファント学院で英語を学び〔ペドロサ(1986年)107頁〕、1944年アメリカ軍がレイテ島に上陸した時はダグラス・マッカーサーの前でフィリピン解放を祝った歌を披露した。1951年教育学学士号を得て卒業し〔ペドロサ(1986年)119頁〕、地元の中国人学校の教員を勤めていた〔ペドロサ(1986年)128頁〕。第二次世界大戦後の1946年にフィリピンは独立している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イメルダ・マルコス」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Imelda Marcos 」があります。



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