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イライアス・コーリー : ウィキペディア日本語版
イライアス・コーリー


イライアス・ジェイムズ “E.J.” コーリー(Elias James “E.J.” Corey、1928年7月12日 - )はアメリカ合衆国有機化学者である。1990年、「有機合成理論および方法論の開発」、特に逆合成解析における功績で、ノーベル化学賞を受賞した。2011年現在存命の最も偉大な化学者の1人であり、多くの人々の尊敬を集めている。コーリーは数々の合成試薬や方法論を開発し、有機合成の分野の発展に大きく寄与した。
== 経歴 ==
1928年、マサチューセッツ州マスーアンキリスト教徒レバノン人移民の家に生まれた。母親は、彼が生まれてから18カ月で死去した父親を称えて、彼の名前を「イライアス」に改名した。彼の母親と兄弟、2人の姉妹、おじとおばは、不況と戦いながら広い家に同居していた。コーリーはカトリック系の小学校とLawrence公立高校に通った。
1945年にマサチューセッツ工科大学に入学し、1948年に化学の学士号、1951年に22歳で化学の博士号を取得した後、すぐにイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の研究員となり、1956年に27歳で正教授となった。1959年にハーバード大学に移り、現在は有機合成講座の名誉教授になっている。また2004年、アメリカ化学会で最も名誉あるプリーストリー賞 (Priestley Medal) を受賞した。
コーリーは50年以上、ファイザーのアドバイザーを務めている〔
〕。1961年に妻のClaireと結婚し、3人の子供(David, John, Susan)と、2人の孫娘 (Sara, Kate) がいる。現在、コーリーと妻のClaireはマサチューセッツ州ケンブリッジに居住している。
世界各国から留学生を受け入れ、その多くが現在有機化学界を牽引する研究者として活躍している。日本人化学者にもコーリーの薫陶を受けた者は多く、この面での功績も計り知れない。野依良治は2001年のノーベル賞受賞記念講演において、「コーリーがいなければ現代の有機化学は存在しなかっただろう」と彼を賞賛している。
ハーバード大学のコーリーのオフィスは、ドアの外についている赤信号・青信号で悪名高い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イライアス・コーリー」の詳細全文を読む



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