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イライジャ・デュークス(Elijah David Dukes , 1984年6月26日 - )は、MLBの元外野手(中堅手)。右投右打。アメリカ合衆国フロリダ州ホームステッド出身。現在は「Fly Eli」の名でラッパーとして活動している〔Howard Altman(2010-02-11), Former Ray Elijah Dukes reinvents himself , TBO.com(英語), 2011年3月6日閲覧〕。 ==経歴== 12歳の時に父親が殺人事件を起こして逮捕・収監され、その後は母子家庭で育つ〔Adam Kilgore,Elijah Dukes released (updated) ,The Washington Post(英語),2010/03/18閲覧〕。高校時代は、アメリカンフットボールで全米屈指のラインバッカーとして鳴らしていた〔『月刊スラッガー』 2008年4月号 68 - 69頁。〕。卒業後はアメリカンフットボールの奨学生としてノースカロライナ州立大学への進学が決まっていたが、2002年6月4日、タンパベイ・デビルレイズから3巡目(全体74番目)でドラフト指名を受け、8月21日契約が成立しプロ入り。 プロ1年目の2003年、A級において打撃成績は平凡ながら33盗塁をマーク、スピードがあることを証明する。 翌2004年はA級とA+級通算で101試合 ・ 打率.313 ・ 出塁率.385 ・ OPS.874 ・ 30盗塁と言うハイレベルな数字を叩き出し、シーズン終了後、チーム内の有望株リストで7位にランクされ、ベスト・アスリートにも選出された。 はAA級にステップアップし、120試合出場。はAAA級にステップアップし、80試合に出場。それぞれ好成績を挙げ、シーズン終了後、チーム内の有望株リストで5位と6位にランクされ、3年連続でベスト・アスリートに選出されるなど、マイナーリーグにおいて着実にキャリアを積み重ねる。 プロ5年目のは開幕ロースター入りを果たし、4月2日の開幕戦(対ニューヨーク・ヤンキース戦)においてメジャー・デビュー。八番打者・中堅手でスタメン出場し、初打席初本塁打でデビューを飾った。2日後の試合でもスタンドにホームランを叩き込み、並みではない素質を大いにアピールした。4月26日からはもっぱら一・二番打者として起用されることが多くなったが、打率は一割台、盗塁成功率は33パーセントと低迷。ルーキー・イヤーの52試合で二桁本塁打を放ったパワーや、ボールの見極めの上手さなど光る物もあったが、6月19日を最後に姿を消し、マイナーですらプレーせずにシーズンを終えた。同年12月3日、グレン・ギブソン投手とのトレードが成立し、ナショナルズに移籍。 1月25日、1年間の契約延長が成立。 は初めて100試合以上に出場したものの、成績は完全に伸び悩み、本塁打はメジャー3年目にして初の1ケタ。盗塁も失敗が目立った。 3月17日、突如ナショナルズを解雇される。リゾーGMはあくまで野球の成績で判断してデュークスを解雇したと説明し、トラブルの存在は否定した。しかし、その一方で「これでクラブハウスはより一体化するだろう」とも語った〔Adam Kilgore,Elijah Dukes released (updated) ,The Washington Post(英語),2010/03/18閲覧〕。6月に独立リーグのニューアーク・ベアーズと契約したが、間もなく退団した。 2月、ラッパーに転身をすることを明らかにした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イライジャ・デュークス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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