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イラク・石油・食料交換計画 : ウィキペディア日本語版
石油食料交換プログラム[せきゆしょくりょうこうかんぷろぐらむ]
石油食料交換プログラム(英語:Oil-for-food program)とは、1995年国際連合国連安保理決議986に基づいて行い〔

、1996年から開始され、2003年末頃終了した7年間累計で輸出640億ドル(当時の為替レートで7兆3600億円)輸入370億ドル(4兆2250億円)に至った交換プログラム〔A fair-minded report at a crucial time(economist) 〕である。このプログラムは、イラクが軍隊を再構築することなく、食品・医薬品その他のイラク市民にとって人道的に必要な物資と交換に、イラクが石油を輸出できるようにすることが目的であった。
このプログラムは、湾岸戦争の勃発にともなってサッダーム・フセイン政権下のイラク非武装化のために行われた経済制裁の影響が、イラクの一般市民に及びすぎている、という議論へ対抗する形で、アメリカ合衆国ビル・クリントン大統領政権により1995年に提案された。経済制裁が終了したのは、イラク戦争および連合国暫定当局への人道的支援引き継ぎが終了した後の、2003年11月21日であった。
このプログラムが終了してから、プログラムの資金に関する18億ドル(約2000億円)を超える汚職が明らかになった。後にアメリカ合衆国政府会計局(GAO)による調査では、汚職の一部(フセイン大統領の取り分)だけでも推定101億ドルと、1兆円を超える汚職であった可能性が指摘されるも、国連は調査協力を拒否した為に全容不明である。(後述GAO調査の項目参照)
==背景・狙い==
石油食料交換プログラムは、イラクのクウェート侵攻に伴う国連安保理決議661によって過度に疲弊した市民を救援する目的で実行された。
1991年8月15日国連安保理決議706の採択によって、イラクは食料と交換の石油輸出が可能になった。
1991年9月19日国連安保理決議712により、石油食料交換プログラムへの出資のために石油換算で160億ドルの輸出ができることが確認された。
イラクは最初は拒否していたものの、1996年5月に国連決議の実行手続きを行うための了解覚書に調印した。プログラムは1996年12月に開始され、最初の輸送食料は1997年5月に到着した。イラクの2600万人の人々のうち60パーセント1560万人が、石油食料交換プログラムによる食料に完全に依存していた。
このプログラムではエスクローシステムが採用されていた。イラクから輸出された石油に対する支払いは、イラク政府へではなく、買い手から2001年までBNPパリバ銀行に保有されたエスクロー口座へと支払われた。この金はその後クウェート・連合軍・国連活動への戦争賠償金へ充当された。残った大部分の金は、イラク政府が規制に合致した物資を買うために使うことができた。
イラク政府が購入を許可されたのは、経済制裁下で禁輸されていない物資のみであった。生鮮食料品などの特定の品目はすぐに輸送処理されたが、鉛筆や葉酸などの単純な品物も含め、大部分の物資は手続き中に再検査され、輸送が許可されるまでたいてい6週間ほどかかった。何らかの形で化学兵器・生物兵器・核兵器開発に使用される可能性がある物資は、その目的で使用する・しないにかかわらず送ることはできなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石油食料交換プログラム」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Oil-for-Food Programme 」があります。



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