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イラク日本人外交官射殺事件(イラクにほんじんがいこうかんしゃさつじけん)は、2003年11月29日、イラクへ派遣されていた日本人外交官2人が、バグダード北西140kmに位置するティクリート近郊にて、日本大使館の車両で移動中、何者かに射殺された事件である。2015年現在も犯人逮捕には至っておらず、未解決事件となっている。 == 概要 == 2003年11月29日、午前11時(現地時間)、イラク北部、バグダード北西140kmに位置するティクリート南郊で、奥克彦・駐英参事官と井ノ上正盛・駐イラク三等書記官、それにイラク人の運転手が乗った車両(トヨタ・ランドクルーザー)に、後ろから追いついてきた車が銃を発砲。その後、3人が乗る車は30メートルほど先の農地へ突っ込んだ。近くの店の主人が、車が突っ込んだのに気づき、警察へと通報した。 警察が約1時間後に現場に到着した際には、左ハンドルの車の運転席にいたイラク人運転手と、前方右の座席にいた井ノ上書記官はすでに死亡していた。後部座席にいた奥参事官は、意識はないもののまだ息があり、ティクリートの病院で救命措置を受けたが、午後2時前に死亡した。イラク戦争が終戦後、初めての日本人犠牲者であった〔http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200311300060.html〕。 銃弾の鑑定の結果、使用された銃は口径7.62mmで右回り4条の腔線を有する、といった点が明らかにされている。 政府(福田康夫官房長官(当時))は、弾丸の痕跡が車の左側に集中していること〔http://www.securico.co.jp/blog/blog31.html〕、金銭などが奪われていないことからみて、「テロの可能性が高い」とし、テロリストによる犯行であるとの見方を示した〔http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200311300060.html〕。イラク暫定内閣のフーシュヤール・ズィバーリ外相は、事件の犯人が旧フセイン政権時代の情報機関、総合情報局(ムハーバラート)の残党による犯行と断定した〔http://www.47news.jp/CN/200312/CN2003120501000146.html〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イラク日本人外交官射殺事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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