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イラン・コントラ事件(イラン・コントラじけん、Iran-Contra Affair)は、アメリカ合衆国のレーガン政権が、イランへの武器売却代金をニカラグアの反共ゲリラ「コントラ」の援助に流用していた事件。1986年に発覚し、アメリカ国内はおろか世界を巻き込む政治的大スキャンダルに発展した事件である。 == 概略 == アメリカ軍の兵士らがレバノン(内戦中)での活動中、イスラム教シーア派系過激派であるヒズボラに拘束され、人質となってしまった。彼らを救出する為、アメリカ政府はヒズボラの後ろ盾であるイランと接触し、イラン・イラク戦争でイラクと戦うイランに対し、極秘裏に武器を輸出する事を約束した(イラン革命時のアメリカ大使館人質事件により、アメリカはイランを敵視して、イランに対する武器輸出を公式に禁じていた)。武器の輸出は、ヒズボラおよび西欧諸国での爆弾テロを支援したグループに対する影響力を持つイランの歓心を買った。 さらに国家安全保障担当補佐官のジョン・ポインデクスターと、国家安全保障会議軍政部次長でアメリカ海兵隊のオリバー・ノース中佐らが、イランに武器を売却した収益を、左傾化が進むニカラグアで反政府戦争(コントラ戦争)を行う反共ゲリラ「コントラ」に与えていた。ニカラグアは1979年のニカラグア革命により、40年以上続いた親米のソモサ王朝独裁政権が崩壊し、キューバおよびソ連に支援され、社会主義寄りのサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)政権が統治しており、冷戦を戦い抜こうとするアメリカにとっては看過出来ないことであった。 それぞれの行為は、当時民主党が多数を占めた議会の議決に反した。議会はアメリカとの関係が悪化していたイランへの武器販売、および反共ゲリラに過ぎないコントラへの資金提供に反対していた。 また、この時、アメリカのイランとコントラの双方の交渉窓口は当時副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュ(後の大統領)であったとされ、このブッシュの関与が民主党政権下の連邦議会における公聴会で取りあげられたが、その真相はいまもってうやむやである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イラン・コントラ事件」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Iran-Contra affair 」があります。 スポンサード リンク
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