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イリジウム・ジャズ・クラブ (Iridium Jazz Club) は、ニューヨーク市マンハッタン区ミッドタウンのジャズ・クラブ。住所はブロードウェイ1650号。現在の店はブロードウェイの一等地にあり、数多くの一流ジャズ・ミュージシャンが出演してきたことで知られる。晩年のレス・ポールは、ここに毎週出演を続けていた。このほか、ジョン・コリアーニ(John Colianni)やミンガス・ビッグ・バンドなどが毎週出演していたことがある〔Calendar from allaboutjazz.com〕。 == 歴史 == イリジウム・ジャズ・クラブは、カバー・チャージ(Cover charge)を抑えた店として、1994年1月に、63丁目と8番街の交差点で開店した。この最初の場所では、イリジウム・ルーム・ジャズ・クラブ(Iridium Room Jazz Club)として知られていたが、これはリンカーン・センターの筋向かいにあるイリジウム・レストランの地下だったことから付いた名だった。開店当初は、「第一線ではなく、それに次ぐレベルのトラディショナルやスウィング・ジャズのミュージシャンたち」をブッキングしていた。自らブッキングも行うクラブの経営者ロナルド・スタームは『ニューヨーク・タイムズ』紙に、「トランペットのマーカス・プリンタップ(Marcus Printup)や、(ピアノの)サイラス・チェストナット(Cyrus Chestnut)、(ドラムの)カール・アレン(Carl Allen)のような人たちに出演してもらえるようになりたい」と述べていた。目的は、「伝説的なミュージシャンたちにも登場してもらいつつ、若い、主流のミュージシャンたちに」チャンスを与えることにあった。開店当初には、地元の無名なジャズ・グループやソロ・アーティストにも、聴衆の前で演奏する機会を与えられていた〔History from the Iridium Jazz Club website〕。この最初の場所では、3回の改装が行われた後、2001年8月に、クラブは現在地であるブロードウェイ1650番地(51丁目角)に移転した〔。 ニューヨークの他のジャズ・クラブとは異なり、現在も営業を続けていられるのは、観客数の拡大に合わせて大規模な改装を重ねてきたことが一因になっている〔。イリジウムでのライブ録音盤がリリースされる例も、ケニー・ギャレット(Kenny Garrett)、ジャッキー・テラソン、チャーリー・ヘイデン、ケニー・バロン(Kenny Barron)、ベニー・カーター(Benny Carter)、ザ・ジャズ・メッセンジャーズ(アート・ブレイキーの創始したグループで、ブレイキーの死後も活動を続けている)、スウィーツ・エディソン、クラーク・テリー(Clark Terry)〔、さらにはジャン=ミシェル・ピルク(Jean-Michel Pilc)など、多数ある。ランディ・ブレッカーは、2005年に、弟マイケル・ブレッカーと共演したイリジウムでのライブ盤『''Some Skunk Funk''』を発表している(ブレッカー・ブラザーズ名義ではないが、公式盤では最後の共演)。 伝説のギタリスト、レス・ポールは、1995年から〔94歳で亡くなった2009年まで毎週月曜日に、イリジウムで「レス・ポール・ナイト」と題したライブを続けていた。このライブでは、しばしば有名ミュージシャンが飛び入りで参加することがあった(レスポール#エピソード)。レス・ポールの死去後、月曜日には「レス・ポール・ギター・マンデイズ」と称して、ギタリストをフィーチャーしたイベントが続けられている〔Les Paul Guitar Mondays 〕。 ミンガス・ビッグ・バンドは、2004年11月から2008年9月まで、イリジウムに毎週出演していたが、その後は別のジャズ・クラブ「ジャズ・スタンダード」に移動した〔Mingus Big Band 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イリジウム・ジャズ・クラブ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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