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イリヤ・プリゴジン : ウィキペディア日本語版
イリヤ・プリゴジン


イリヤ・プリゴジンIlya Prigogine, 1917年1月25日 - 2003年5月28日)は、ロシア出身のベルギー化学者物理学者非平衡熱力学の研究で知られ、散逸構造の理論で1977年ノーベル化学賞を受賞した。統計物理学でも大きな足跡を残し、「エントロピー生成極小原理」はよく知られている。
== 生涯 ==
モスクワに生まれ、1921年から家族とともにベルギーブリュッセル移住した。ブリュッセル自由大学でテオフィル・ド・ドンデに師事して数理化学を学び、1941年博士号を取得、1947年から同大学の教授となった。1953年には、国際理論物理学会東京京都)で来日した。その会議の終了後、仲間のカークウッドらと全国の高校をまわって講演し、その当時日本物理学では素粒子論が主流を占めていたにもかかわらず、これからはトランジスタなどの物性物理学が主流を占めるはずだと予言して日本の若者達を鼓舞し、今日の技術国日本の礎を作ったと、常々満足げに話していた逸話が残っている。その業績のみならず日本の物理学界の多くの指導者を育成した業績が称えられ、日本政府から勲二等旭日瑞宝章が贈られている。1959年からアメリカ合衆国テキサス大学オースティン校1961年からシカゴ大学の教授を併任し、のちに彼の名前を冠することになる研究所の創設にも関わった。
プリゴジンは自然科学ばかりでなく他の分野でも活躍し、彼のプレ・コロンビアンの石器に関する業績を称えて考古学名誉博士号が贈られている。さらに、モスクワ音楽院ピアノ科を卒業した母親に4歳のときからピアノを習い始め、その後、世界的なピアニストウラディーミル・アシュケナージの父でやはりピアニストのダヴィッド・アシュケナージに師事して、大学就学前にピアノ国際コンクールで優勝している。2003年ブリュッセルで死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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