|
イワン・ニカラエヴィチ・シュレーダー(、1835年—1908年〔Справочник «Художники». Шредер Иван Николаевич (1835—1908) 〕)は、ロシアの彫刻家。ロシア帝国の各地に多数の記念碑を制作した。 == 経歴 == 1835年、ケーニヒスベルクの貴族の家庭に生まれる。父親はリャザン県の知事であった〔。 貴族幼年学校()で教育を受け、卒業後は近衛兵()となる。クリミア戦争(1853年- 1856年)ではセヴァストポリでの戦いにも加わったが、戦後、師であるピョートル・クロット(Peter Clodt、ペーター・クロット=フォン=ユルゲンスブルク)の勧めもあり彫刻家となることを決めた。シュレーダーはロシア帝国芸術アカデミーに入り、彫刻家ニコライ・ピメノフ(Пименов, Николай Степанович)の指導を受ける。またミハイル・ミケシンと共にロシア建国一千年祭記念碑像建立にも携わった。 1864年からは4年間南米に渡り、帰国直後の1869年A・I・キリエフスキー()の胸像で賞を受ける。 その後彫刻家として、ツァールスコエ・セローのエカチェリーナ2世像、サンクトペテルブルクのクルーゼンシュテルン提督像とオルデンブルク公子像、クロンシュタットのベリングスハウゼン提督像、ペトロザヴォーツクのピョートル大帝像、アレクサンドル2世像、キエフにボーブリンスキー伯爵像など数多くの像を制作した。この他、モスクワ、赤の広場にある国立歴史博物館には、コンスタンティン・フォン・カウフマン とセヴァストポリの英雄たちの胸像が収蔵されている。セヴァストポリのパーヴェル・ナヒーモフ提督像では聖ウラジーミル勲章()を受賞した〔。 シュレーダー家の紋章は『ロシア帝国貴族の紋章集』第13巻169頁に収められている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イワン・シュレーダー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|