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イワン・リュビチッチ : ウィキペディア日本語版
イワン・リュビチッチ

イワン・リュビチッチIvan Ljubičić, 1979年3月19日 - )は、クロアチアの男子プロテニス選手。ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)領のバニャ・ルカ出身。シングルス自己最高ランキングは3位。ATPツアーでシングルス10勝を挙げた。身長193cm、体重86kg、右利き。
2005年度の男子テニス国別対抗戦・デビスカップで、同僚のマリオ・アンチッチとともにクロアチア・チームを初優勝に導いた。マスターズ1000優勝1回準優勝3回、ATPワールドツアー・ファイナルに2度出場。
== 選手経歴 ==
9歳からテニスを始め、13歳だった1992年の時にボスニア・ヘルツェゴビナを離れる。ジュニア時代には、1996年ウィンブルドン男子ジュニア部門で準優勝がある。1998年にプロ転向。1999年全米オープン4大大会に初出場を果たす。2000年シドニー五輪で、オリンピックのクロアチア代表選手として初出場を果たし、男子シングルスでグスタボ・クエルテンとの3回戦まで進出した。2004年アテネ五輪で2度目の五輪代表選手になり、男子ダブルスでマリオ・アンチッチとペアを組んで銅メダルを獲得している。
2005年10月、リュビチッチはフランス・メスの大会とオーストリアウィーンの大会で2週連続優勝を遂げ、ようやくテニスキャリアに弾みをつけた。同年末の12月2日から4日デビスカップのワールド・グループ決勝戦でクロアチアとスロバキアが対戦した。会場はスロバキアの首都ブラチスラヴァで行われたが、リュビチッチとマリオ・アンチッチのコンビが活躍し、「3勝2敗」でクロアチアにデ杯初優勝をもたらした。
リュビチッチはこれまで、4大大会では好成績に恵まれなかった。第7シードに選ばれた2006年全豪オープンでは、準々決勝でキプロスの新星マルコス・バグダティスに 4-6, 2-6, 6-4, 6-3, 3-6 のフルセットで敗れてしまう。バグダティスには前年の2005年全豪オープン2回戦で初対戦した時も敗れており、同じ大会で2年連続の苦杯をなめることになった。同年の全仏オープンでは第4シードに選ばれ、自己最高成績となるベスト4進出を果たしたが、初めての準決勝で大会前年優勝者のラファエル・ナダルに 4-6, 2-6, 6-7 のストレートで完敗した。(4大大会の男子シングルスで、第1-第4シードの4名が順当に準決勝に勝ち残ったトーナメントは1995年ウィンブルドン選手権以来11年ぶりの出来事だった。)2006年度は、チェンナイ・オープンインド)とザグレブ・インドアクロアチア)で優勝があり、ウィーン大会の連覇も含めて年間3勝を挙げた。
2007年1月、リュビチッチは年頭のカタール・エクソンモービル・オープン優勝でツアー通算7勝目を挙げたが、第4シードに選ばれた全豪オープンでは1回戦で2004年アテネ五輪の男子シングルス銀メダリスト、マーディ・フィッシュアメリカ)に敗れた。
2009年全米オープン男子ダブルスで6年ぶり2度目のベスト8進出があった。パートナーはミカエル・ロドラフランス)と組み、第4シードのマヘシュ・ブパシインド)&マーク・ノールズバハマ)組に 4-6, 6-4, 6-7(4-7) で敗れた。11月のリヨン大会ではミカエル・ロドラフランス)を 7–5, 6–3 で破り2007年6月のオーディナ・オープンオランダスヘルトーヘンボス開催)以来2年半ぶりのツアー9勝目を挙げた。
2010年3月のBNPパリバ・オープンでは、準決勝でラファエル・ナダルスペイン)を 3-6, 6-4, 7-6、決勝でアンディ・ロディックアメリカ)を 7–6(3), 7–6(5) で破り初のマスターズ1000のタイトルを獲得。通算シングルス10勝目となりこの優勝が最後の優勝となった。
リュビチッチは2012年4月のモンテカルロ・マスターズ1回戦で、クロアチアの後輩のイワン・ドディグに 0–6, 3–6 で敗れた試合を最後に現役を引退した。
リュビチッチは2013年から2015年までカナダミロシュ・ラオニッチのコーチを務めていた。2016年よりロジャー・フェデラーのコーチに就任。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イワン・リュビチッチ」の詳細全文を読む



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