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インクスティック(''Inkstick''、通称インク)は、かつて日本に存在したライヴハウス群である。かつて東京・西麻布に存在したカフェバー「レッドシューズ」のオーナー松山勲が、インクのオーナーであった。 == 概要・略歴 == 1982年(昭和57年)12月、松山勲(1950年 - 2003年)が六本木に開いた、松山がオーナーとして経営したライブハウスである。1988年(昭和63年)、SOFT BALLETが初ライヴを行ったのはこの店である〔「SOFT BALLET」の項の記述を参照。〕。1989年(平成元年)、近田春夫がビブラストーンのライヴを行い、同バンドのデビューアルバム『Vibra is Back』を収録したのもこの店である〔「Vibra is Back」の項の記述を参照。〕。また同年、ECDが主催するイベント「CHECK YOUR MIKE」第1回をスタートするなど、日本のヒップホップシーンの黎明期を支えた。なお、「六本木インク」は、1989年7月31日に閉店した。 1986年(昭和61年)12月5日、「インクスティック芝浦ファクトリー」を期間限定でオープンした。空間プロデュースは「レッドシューズ」同様、松井雅美が手がけた〔「松井雅美」の項の記述を参照。〕。1986年から1987年にかけて、JAGATARA、MUTE BEAT、トマトス、S-KENの4バンドでシリーズ・イベント「東京ソイソース」を開催。ライブとライブの間にDJが入るという試みをし、いとうせいこう&タイニー・パンクス、ランキンタクシーなども出演した。1989年3月、SPARKS GO GOの前身バンドBe Modernはここでのライヴをもって解散した〔「SPARKS GO GO」の項の記述を参照。〕。同年11月4日、同店で行なわれたPINK CLOUDのライヴの模様は、ライヴDVD『1989.11.04 芝浦INK STICK』(江戸屋、2006年11月8日)としてリリースされた〔#外部リンク内の「1989.11.04 芝浦INK STICK」リンク先の記述を参照。〕。同年12月31日、同店は閉店した。 つづいて、1990年(平成2年)12月にオープンしたのは「インクスティック鈴江ファクトリー」である。鈴江組(現鈴江コーポレーション)の倉庫を利用したこのライブハウスでは、こけら落としはTHE THRILLの初ライヴであった。また、同月、同店では、ピチカート・ファイヴが3代目ヴォーカリスト・野宮真貴を迎えての初ライヴを行なった。翌年には、遠藤ミチロウ率いるスターリンが、1991年6月2日、7月19日、同20日のライヴを収録し、『行方不明 〜LIVE TO BE STALIN〜』として同年リリースしている〔「行方不明 〜LIVE TO BE STALIN〜」の項の記述を参照。〕。 1989年にオープンした東京・渋谷の「DJバー・インクスティック」は、小林径がプロデューサーであった。ここではさまざまなイヴェントが行われたが、YOU THE ROCK★は1990年(平成2年)にこの店でBEN THE ACEと出逢ったことがデビューのきっかけになっており〔「YOU THE ROCK★」の項の記述を参照。〕、歌手の渚ようこは、1994年(平成6年)、イヴェント「自由に歩いて愛して」でデビューしている〔「渚ようこ」の項の記述を参照。〕。島田奈央子(元 島田奈美)がアイドル引退後にDJとして活躍していたのも同店である〔「島田奈央子」の項の記述を参照。〕。 1980年代から1990年代の東京の音楽シーンに一時代を築き、1990年代半ばにはその役割を終えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「インクスティック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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