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イングランドとウェールズの国立公園 (イングランドとウェールズのこくりつこうえん)は、1949年の「国立公園と地方へのアクセスを定める法」のもとで定められた、比較的開発の手が及んでいない景観のよい地域を指す。その名にかかわらず、イングランドとウェールズの国立公園は他の国での国立公園とはまったく異なる。他の国では国立公園は保護された共有資源として国が所有・管理し、人間の恒久的な村落はそこに含まれない。イングランドとウェールズでは国立公園として指定されるには実際に人が住んでいる定住地を含んでいてもよく、しばしばその地域の全体が利用されていてもよい。また、国立公園の中に個人所有の土地があっても構わない。 現在、イングランドとウェールズには12の国立公園がある。また、イングランドのサウスダウンズは国立公園として登録する手続き中である。いずれの公園も、それぞれの国立公園管理局が運営している。法に定めた運営目的は以下の通り: #その地域の自然の美、野生生物、および文化的遺産を保存、強化する #公衆が公園のクオリティを理解し楽しむ機会を高める 推定で毎年1億1000万人がイングランドとウェールズの国立公園を訪れる。レクリエーションと観光が、訪問客と資金を公園にもたらし、それらが公園の自然保護業務を支え、また地元の雇用と産業を振興している。侵食、交通渋滞や公園の施設利用でトラブルを起こすなど、訪問客は問題を持ち込むこともある。 == 歴史 == === 未開の僻地? === 考古学的な証拠からは、国立公園として指定されている地域には先史時代のブリテンの少なくとも5000年前、場合によってはそれ以前の石器時代から人間が住んでいたと考えられる。 19世紀より前は、未開の僻地はしばしば、単なる文明化されていない危険な土地と見られていた。1725年にダニエル・デフォーは、ハイピークについて「イングランド中で最も不毛で未開で見捨てられた地」と描写している。しかし19世紀の初頭、バイロン、コールリッジ、ワーズワースのようなロマン主義の詩人は、「野生」の地方の霊感を与える美について記した。特に顕著なものは、1810年にワーズワースが湖水地方(レークディストリクト)について「感じる目と楽しむ心を持つ者ならば誰しも権利と利害関係を持つ一種の国家財産」と記した。こうした早期の見解は多くの論争も呼んだが、1世紀の間に支配的となり、1949年に英国の法律として「国立公園および地方へのアクセスを定める法」が成立した。 国立公園という形式の着想は、最初は1860年代の米国で起こった。米国では国立公園は、ヨセミテのような野生生物の生息地域を保護するためのものだった。このモデルは多くの国で使われたが、英国ではそうではなかった。国土に人間が流入してから何千年も経った時点となっては、野生生物が生息する自然の地域はわずかしか残っていなかったのである。さらに、ロマン主義の詩人たちにたいそう愛されたそれらの地域の自然美は、しばしは既存の人間活動(多くは農業)のみによって維持管理されていたのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イングランドおよびウェールズの国立公園」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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