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イングランド連合グランドロッジ : ウィキペディア日本語版
イングランド・連合グランドロッジ

イングランド・連合グランドロッジ()は、イギリスイングランド及びウェールズフリーメイソンの統括組織である。
1751年以来二つに分裂していたイングランド・グランドロッジが1813年に再統合されたことで成立した。最高指導者はであり、現在のグランドマスターはエリザベス女王の従姉弟にあたる王族ケント公エドワード王子が務めている。
== 歴史 ==
1717年、ロンドンにイングランド・フリーメイソンのロッジの統合組織として「グランドロッジ」が初めて創設された。しかし1751年7月にはロンドン在住のアイルランド人がロンドン・グランドロッジに加入を拒否された事件があり、それをきっかけにがグランドロッジから分離して成立した。古代派は自分たちこそが古代フリーメイソンの伝統の継承者と自負し、既存のグランドロッジを「近代派」と呼んで批判した。
以降半世紀以上にわたってイングランドのフリーメイソンは(「近代派」)と古代派グランドロッジに分裂していた。しかし1789年フランスで発生したフランス革命とその後の対フランス戦争(フランス革命戦争ナポレオン戦争)の影響でイギリス社会は一丸となるべきという機運が高まり、そうした中でフリーメイソン内部でも両グランドロッジの統合へ向けた動きが加速し、1813年12月27日には連合グランドロッジが創設された。その初代グランドマスターには、首位グランドロッジ(「近代派」)のグランドマスターである王族サセックス公オーガスタス・フレデリック(1773-1843)が就任した。
以降サセックス公は薨去するまでの30年にわたってグランドマスターに在職し、イギリス・フリーメイソンを自由主義的に指導した。しかし時代は世界中で植民地を拡大中の大英帝国の最盛期であり、イギリス臣民のナショナリズムも最高潮に高まっていた。そうした中でイギリス・フリーメイソンも保守的な組織へと変貌していった。理神論を掲げて進歩思想を先駆してきた18世紀に比べて、19世紀に入ってからの彼らはキリスト教社会の秩序を維持しようという保守的な活動が目立つようになる。理神論を捨てたイギリス・フリーメイソンは、実質的に上流階級の社交クラブでしかなくなってしまった。
また19世紀は近代化に成功して未曾有の繁栄を享受していたヨーロッパ諸国に比べて封建主義的なアジアアフリカ諸国の惨めさが際立っていたため、大英帝国をはじめとするヨーロッパ植民地帝国諸国の間で有色人蔑視と白人至上主義が高まった。平等主義を理念の一つに掲げているはずのフリーメイソンもその影響は避けられず、植民地インドに設置したロッジなどは現地民インド人の加入を人種を理由に拒否することが多かった。しかしそうした差別は自由主義的なサセックス公の取り組みのおかげで少しずつ改善されていった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イングランド・連合グランドロッジ」の詳細全文を読む



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