翻訳と辞書
Words near each other
・ インダストリーネットワーク
・ インダス川
・ インダス文字
・ インダス文明
・ インダス河
・ インダス河畔の戦い
・ インダゾール
・ インダノレクス
・ インダノールデヒドロゲナーゼ
・ インダパミド
インダル・シング
・ インダレシオ・プリエト
・ インダレシオ・プリエート
・ インダレシーオ・プリエト
・ インダン
・ インダンスレン
・ インダンスレンブルー
・ インダンスレンブルーRS
・ インダンスレン染料
・ インダンタドール


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

インダル・シング : ウィキペディア日本語版
インダル・シング

インダル・シング(Indar Singh, 生年不詳 - 1707年頃)は、北インドラージャスターン地方マールワール王国の君主(在位:1679年)。インドラ・シング(Indra Singh)とも呼ばれる。
==生涯==
インダル・シングはマールワール王国の一族でナーガウルの領主ラーイ・シングの息子として生まれた。同国君主ガジ・シングの長男アマル・シングは祖父にあたる〔Jodhpur 8 〕。
1676年、父ラーイ・シングが死亡し、ナーガウルの領土を相続した〔。
1678年12月、マールワール王ジャスワント・シングが死亡したのち、1679年2月に息子のアジート・シングが生まれ、王位を継承した。だが、アウラングゼーブはこの継承を認めず、王国の住民の意思に反して、6月9日にアジート・シングの甥インダル・シングに王位を与えた〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.368〕〔。このとき、インダル・シングは相続税として360万ルピーを支払った〔。
アウラングゼーブのこの行動に関して、父シャー・ジャハーンがアマル・シングの要求を無視してその弟ジャスワント・シングに王位を与えたことが大変不公正だったと議論があったことに動かされたか、あるいは未成年者に統治を行わせたくなかった、と歴史家サティーシュ・チャンドラは語っている〔。また、アウラングゼーブはインダル・シングとアジート・シングとでマールワール王国を2分することを意図していた〔。
だが、8月4日にアウラングゼーブはインダル・シングをラートール氏族の貴族の間で不人気であったことを見て、「無能」だとして強制的に退位させた〔〔。だが、アジート・シングはアウラングゼーブに正統な王としては認められず、「詐称者」だとして扱われ、マールワールとの戦闘は行われ続けた〔。
1707年頃、インダル・シングは死亡した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「インダル・シング」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.