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インテレビジョン とは、アメリカの玩具メーカーであるマテルが1980年に発売した家庭用ゲーム機。日本では、1982年7月にバンダイから発売された〔[http://www.famitsu.com/guc/blog/tvgame/11475.html テレビゲームファーストジェネレーション 第2回:TVゲームグラフティー[〜1984年日本編]] ファミ通.com 2012年12月14日〕。 英語での表記は「Intellivision」で発音は「インテリビジョン」〔。「intelligent television」からの造語。 == 概要 == 家庭用ゲーム機としては初めて16ビットCPU(CP1610〔CP1610 - Intellivision Wiki 〕 0.9MHz)を採用し、グラフィック能力は解像度160×96ドット、16色表示、スプライト8枚と、当時ヒットしていたAtari2600よりも一歩抜きん出た表現力を誇り、アメリカではそこそこの人気を得ることができた。販売台数は20万台を記録〔杉本研一『任天堂のファミコン戦略 1千万家庭の情報ネットワーク』ぱる出版、1986年、p.95〕。 しかし、1982年に発売した日本では、49,800円という高めの価格から位置づけを高級機としてデパートを中心に発売したものの、販売台数は3万台弱にとどまった。これを反省材料にバンダイは翌アルカディアを19,800円とより廉価な価格設定でリリース〔赤木哲平『セガvs.任天堂 マルチメディア・ウォーズのゆくえ』日本能率協会マネジメントセンター、1992年、pp.92-93〕。インテレビジョンはアルカディアにその座を取って変わられることになり、日本ではわずか一年で市場から消えた。日本でのテレビCMは漫才コンビのツービートが出演していた。 北米市場ではスポーツキャスターのジョージ・プリンプトンを起用したアタリVCSとの比較CMキャンペーンやケーブルTV回線を利用したダウンロードサービスなど家庭用ゲーム業界初の試みもあり、Video Game Crash(アタリショック)の煽りを受けて1984年にマテル社はエレクトロニクス部門を売却し家庭用ゲーム市場から撤退するものの、インテリビジョンの権利はエレクトロニクス部門のスタッフが中心となって新たに設立されたIntellivision Inc.(後にINTV Corp.に改名)に引き継がれ、当初は売れ残った在庫を処分していたが、後にメールオーダーという形で新モデルの本体や新作ソフトも販売されるなど、結果としてINTV Corp.は1991年まで業務を継続し、最終的にインテリビジョン本体の総出荷台数は300万台に達した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「インテレビジョン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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