翻訳と辞書
Words near each other
・ インディアン保留地
・ インディアン寄宿学校
・ インディアン居留地
・ インディアン座
・ インディアン座ε星
・ インディアン座の恒星の一覧
・ インディアン座アルファ星
・ インディアン座イプシロン星
・ インディアン座ロー星
・ インディアン強制移住法
インディアン戦争
・ インディアン水車
・ インディアン法 (カナダ)
・ インディアン準州
・ インディアン登録簿
・ インディアン移住
・ インディアン移住法
・ インディアン航空
・ インディアン航空113便墜落事故
・ インディア・アイズリー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

インディアン戦争 : ウィキペディア日本語版
インディアン戦争[いんでぃあんせんそう]

インディアン戦争(インディアンせんそう、)は、1622年から1890年の間の、アメリカ合衆国における白人入植者(インディアンが呼ぶところのwhite man)によるインディアンの征服戦争の総称。初期のころからインディアンと入植者の小競り合いが続いていたが、移住者の増加とともに列強による植民地戦争とも絡みながら、大規模化していった北米植民地戦争民族浄化ジェノサイドである。
== 概要 ==
そもそもの白人とインディアンとの戦争は、クリストファー・コロンブスの上陸に始まるものである。コロンブスは中米のインディアン諸部族を艦隊を率いて数年にわたり虐殺し、その人口を激減させた。インディアンたちを黄金採集のために奴隷化し、生活権を奪ったためにインディアンたちは飢餓に陥り、疫病が蔓延し、その数をさらに減らした。白人のもたらした疫病が中米のインディアンを減らしたのではない。コロンブスによる大量虐殺が、疫病によるインディアンの激減を招いたのである〔『American Holocaust』(David Stannard,Oxford University Press, 1992)〕。
アメリカ独立戦争以後、「豊かで安い土地」を求めて白人入植者が西進するようになると、当然そこに住むインディアンは邪魔者となり、これを排除しようとする合衆国政府とインディアンの撲滅戦争と化した。インディアンは領土を追われ、連邦政府が信託保留する土地、「保留地 (Reservation)」に押し込められることを強要され、激しく抵抗するようになる。
イギリスがアメリカへの入植を始めた1610年代1620年代は平穏に過ぎたが、ピクォート戦争の起こった1637年頃から、入植地の安全を図るためと、さらなる入植地の拡大のために、植民白人はインディアン部族間の争いを利用し、代理戦争を行わせるようになった。この戦争は17世紀フィリップ王戦争ウィリアム王戦争および18世紀初頭のアン女王戦争)からウンデット・ニーの虐殺1890年にアメリカの辺境が「消滅」するまで、インディアンの土地を白人入植者のために没収し、インディアンを征服して白人に同化させると同時に、インディアン保留地へ強制移住させる、という結果になっていった。
これらの戦争でアメリカ側とインディアン側の受けた損失については様々な統計が示されてきた。最も信頼に足る数字はグレゴリー・ミクノなどによる交戦記録を厳密に照合したものであり、1850年から1890年の間だけで、21,586人の市民と兵士が死亡、負傷、または捕虜になったとしている。〔Michno, “Encyclopedia of Indian Wars” Index. 〕他の数字としては、ラッセル・ソーントンなどのやや大雑把で関係性の薄い政府の資料から外挿したもので、45,000人のインディアンと19,000人の白人が殺されたとしている。この後者の推定値の中には、辺境の虐殺によって非戦闘員がしばしば殺されたので、双方の女性子供の犠牲者も含まれている。〔Thornton, ', 48?49.〕その他にも様々な著者が、少ない者では5,000人、多い者では50万人という数字を上げている。ここでの議論に含まれていないのは、双方の残虐さである。インディアンはその残酷な戦い方で、アメリカは破壊的な作戦実行で示した残虐さは、毎年のように新聞、記録保管所、外交記録およびアメリカ独立宣言(...(イギリスは)辺境の住人、戦い方を知っている残酷なインディアンに、年齢、性別や状態に拘わらず見境無い破壊を奨励している)の中で指摘されてきた。
インディアン戦争は小さな戦争の連続であった。インディアンはそれぞれの歴史を持つ様々な集団であった。戦争の間を通じて、インディアンは「白人」のように一括りで呼べるような単一の民族では無かった。様々なやり方で築かれた社会に住み、地域的なレベルで戦争と和平の決断を下した。ただし、イロコイ連邦や、スー族シャイアン族アラパホー族の三部族同盟、またテカムセのような調停者によって実現した一時的な同盟のように、公式の同盟を組んで共闘することが多数見られた。
インディアン戦争は大きく分けて、次の4つの時代区分に分けられる。
#最初の時代は白人がアメリカに入ってきて手探りでインディアンとの共存を探った時代である。
#次の時代はアメリカ合衆国が誕生してそれに続く期間であり、インディアンからの激しい抵抗があったもののアメリカの文化に同化しないインディアンが排除されて、ミシシッピ川から東にはほとんどインディアンの居住地が無くなった時代である。
#3番目の時代はミシシッピ川の西に白人の入植が進み、アメリカ合衆国の国力が充実してきてアメリカ西部のインディアンが屈服させられていった時代である。
#4番目は、20世紀に入ってインディアン条約が合衆国側から破棄され、部族そのものが消滅され始めた時代である。
クレイジー・ホースらが参加した、インディアンの連合軍がカスター中佐の第7騎兵隊を撃退全滅させるなどの戦果もあったが、ジェロニモの降伏やウンデット・ニーの虐殺以降、インディアンによる軍事的な反乱はなくなった。代って、20世紀になってからの「レッド・パワー運動」に代表される、権利回復要求運動が現代のインディアン戦争となった。黄金に代わってウラニウムや石炭、水といった保留地の地下資源が、合衆国の収奪対象となった。現代の「インディアン戦争」は、地下資源の収奪と環境汚染、そして「西部劇映画」や「インディアン・マスコット」問題に象徴されるメディアやスポーツにおける歪曲された民族イメージのステレオタイプ化が大きなテーマとなっている〔『Sports Talk (A Longman Topics Reader) 』(Chapter 4:OF POLLS AND RACE PREJUDICE Sports Illustrated "Errant 'Indian Wars'",Longman 2008年) 〕。
1973年にスー族保留地内の「ウンデット・ニー」で、オグララ・スー族と「アメリカインディアン運動 (AIM)」が同地を占拠し、「オグララ国」の独立宣言を行った「」(のちの連邦裁判で完全合法判決を受けた)では、全米のインディアンが応援参加し、非武装のインディアンたちに対して合衆国とサウスダコタ州が戦車や戦闘ヘリまでを投入した、一大軍事衝突となった。
2003年、100年近くに及ぶインディアンたちの要求運動によって、「リトルビッグホーンの戦い」の主戦場が「カスター国立記念戦場」から「リトルビッグホーン国立記念戦場」に名称変更された。同時に「インディアン戦争」を戦ったインディアンたちの「インディアン記念碑」が建立され、地図と解説の書かれた石壁が設置された。この石壁には次のような文言が彫り込まれている。
“The Indian Wars Are Not Over.”(インディアン戦争は終わっていない), 48?49.〕その他にも様々な著者が、少ない者では5,000人、多い者では50万人という数字を上げている。ここでの議論に含まれていないのは、双方の残虐さである。インディアンはその残酷な戦い方で、アメリカは破壊的な作戦実行で示した残虐さは、毎年のように新聞、記録保管所、外交記録およびアメリカ独立宣言(...(イギリスは)辺境の住人、戦い方を知っている残酷なインディアンに、年齢、性別や状態に拘わらず見境無い破壊を奨励している)の中で指摘されてきた。
インディアン戦争は小さな戦争の連続であった。インディアンはそれぞれの歴史を持つ様々な集団であった。戦争の間を通じて、インディアンは「白人」のように一括りで呼べるような単一の民族では無かった。様々なやり方で築かれた社会に住み、地域的なレベルで戦争と和平の決断を下した。ただし、イロコイ連邦や、スー族シャイアン族アラパホー族の三部族同盟、またテカムセのような調停者によって実現した一時的な同盟のように、公式の同盟を組んで共闘することが多数見られた。
インディアン戦争は大きく分けて、次の4つの時代区分に分けられる。
#最初の時代は白人がアメリカに入ってきて手探りでインディアンとの共存を探った時代である。
#次の時代はアメリカ合衆国が誕生してそれに続く期間であり、インディアンからの激しい抵抗があったもののアメリカの文化に同化しないインディアンが排除されて、ミシシッピ川から東にはほとんどインディアンの居住地が無くなった時代である。
#3番目の時代はミシシッピ川の西に白人の入植が進み、アメリカ合衆国の国力が充実してきてアメリカ西部のインディアンが屈服させられていった時代である。
#4番目は、20世紀に入ってインディアン条約が合衆国側から破棄され、部族そのものが消滅され始めた時代である。
クレイジー・ホースらが参加した、インディアンの連合軍がカスター中佐の第7騎兵隊を撃退全滅させるなどの戦果もあったが、ジェロニモの降伏やウンデット・ニーの虐殺以降、インディアンによる軍事的な反乱はなくなった。代って、20世紀になってからの「レッド・パワー運動」に代表される、権利回復要求運動が現代のインディアン戦争となった。黄金に代わってウラニウムや石炭、水といった保留地の地下資源が、合衆国の収奪対象となった。現代の「インディアン戦争」は、地下資源の収奪と環境汚染、そして「西部劇映画」や「インディアン・マスコット」問題に象徴されるメディアやスポーツにおける歪曲された民族イメージのステレオタイプ化が大きなテーマとなっている〔『Sports Talk (A Longman Topics Reader) 』(Chapter 4:OF POLLS AND RACE PREJUDICE Sports Illustrated "Errant 'Indian Wars'",Longman 2008年) 〕。
1973年にスー族保留地内の「ウンデット・ニー」で、オグララ・スー族と「アメリカインディアン運動 (AIM)」が同地を占拠し、「オグララ国」の独立宣言を行った「」(のちの連邦裁判で完全合法判決を受けた)では、全米のインディアンが応援参加し、非武装のインディアンたちに対して合衆国とサウスダコタ州が戦車や戦闘ヘリまでを投入した、一大軍事衝突となった。
2003年、100年近くに及ぶインディアンたちの要求運動によって、「リトルビッグホーンの戦い」の主戦場が「カスター国立記念戦場」から「リトルビッグホーン国立記念戦場」に名称変更された。同時に「インディアン戦争」を戦ったインディアンたちの「インディアン記念碑」が建立され、地図と解説の書かれた石壁が設置された。この石壁には次のような文言が彫り込まれている。
“The Indian Wars Are Not Over.”(インディアン戦争は終わっていない

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「インディアン戦争」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.