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インディペンデンス級航空母艦 : ウィキペディア日本語版
インディペンデンス級航空母艦[いんでぃぺんでんすきゅうこうくうぼかん]

インディペンデンス級航空母艦 (Independence class aircraft carrier) は、アメリカ海軍航空母艦の艦級。
== 概要 ==
インディペンデンス級軽空母は建造途中のクリーブランド級軽巡洋艦の船体を流用した軽空母で、巡洋艦時代の軽敏な速力と 十分な排水量を備えている。このクラスの特徴としては、船体が巡洋艦の設計として完成されていたため、巡洋艦時代に甲板となるはずであった装甲の上に取り付けるようにして飛行甲板格納庫が設置されていることである。
同級はフランクリン・D・ルーズベルト大統領の海軍建艦計画への関心から開発が進められた。戦争が予想された1941年8月にルーズベルトは、1944年まで新しい航空母艦が建造されないことを知らされた。そこで当時建造途中だった多数の巡洋艦の一部を空母に変更するように主張した。巡洋艦サイズの航空母艦に関するそれまでの研究は、この種の艦には重大な限界があるとしていた。しかしながら1941年12月の真珠湾攻撃後の危機でアメリカ海軍には多くの航空母艦を配備する緊急の必要が生じた。海軍は正規空母エセックス級の建造を加速すると同時に、1942年1月にはクリーブランド級軽巡洋艦1隻を航空母艦に改装するよう命じた。
改装のための設計を行なってみると、意外にうまくいきそうであることがわかった。1942年2月にはさらに2隻の軽巡洋艦が空母改装を命じられ、3月には3隻、そして6月にも3隻が発注された。1943年の1月から12月までに改装は完了し、最初のエセックス級8隻とインディペンデンス級9隻は1943年11月から1945年8月までの太平洋における攻撃部隊の主力となった。インディペンデンス級8隻は1944年6月のマリアナ沖海戦に参加し、艦上戦闘機の40%および艦上雷撃機の36%を供給し日本海軍の航空勢力を撃退した。
同級の設計は小さなアイランドと共に、比較的短く狭い飛行甲板および格納庫を特色とした。これによるトップヘビーを軽減するため船体は中央部で5フィート拡張された。搭載機数は約30機で、当初は艦上戦闘機、艦上爆撃機、艦上雷撃機各9機の編成であったが、後には戦闘機約24機、雷撃機9機に変わっていった。
本級は短期間での戦力化を主眼としており、能力には限界があった。艦体が小さいため太平洋の台風に対して凌波性に問題があり、飛行甲板が狭いため艦載機の事故率もやや高かった。防御も控えめで、弾薬を格納庫レベルに積むしかないことも多く、それは1944年10月のプリンストン喪失の大きな要因となってしまった。ただし軽巡の船体を使っていたため高速で、主力空母群と行動をともにすることができた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「インディペンデンス級航空母艦」の詳細全文を読む



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