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インディペンデント航空1851便墜落事故 : ウィキペディア日本語版 | インディペンデント航空1851便墜落事故[いんでぃぺんでんとこうくう1851びんついらくじこ]
インディペンデント航空1851便墜落事故(インディペンデントこうくう1851びんついらくじこ)とは、1989年2月8日にイタリア・ベルガモ発ドミニカ共和国行きのアメリカのチャーター便・インディペンデント航空 (en) 1851便(機材:ボーイング707)が経由地のアゾレス諸島へ着陸進入中にピコ・アルトへ墜落した事故である。機体は大破し搭乗していた全員が死亡した。この事故はポルトガル史上最悪の航空事故となった。 == 事故の経過 == サンタマリア空港への最終進入中、滑走路19へILSアプローチで着陸するために管制官はクルーに3,000フィート (910m) へ降下するように指示した。その伝達の最中に訓練管制官も指示を出したが、気圧高度計をQNHセッティングさせる際に設定値を誤って9hPa高く伝えた。操縦士が新しいQNHを確認するためにマイクロフォンを再入力していたため、着陸進入の指示は完全には聞き取れておらず、3,000フィートが安全高度であるという2回目の報告 (second repeat) を聞き取れなかったと思われる。そして「我々は2,000フィート (610m) への降下を再度許可された。 (We’re re-cleared to 2,000 feet...) 」と明言している。副操縦士は気圧高度に疑問を持ったが、機長は副操縦士が正しく復唱を聞いたということで彼と意見が一致した。 ILSアプローチが許可されてからもクルーはアプローチブリーフィング (approach briefing) を終えておらず、3,000フィートが安全高度であることとピコ・アルト (Pico Alto) の存在に気づく機会を逃した。 2,000フィートで水平飛行に移った時、旅客機は付近で激しい乱気流に遭遇し、直後に高度1,795フィート (547m) を水平姿勢で飛行中にピコ・アルトの尾根に激突した。飛行中の異常事態発生を示す証拠はなく、高度計は1027mbに正しく設定された状態で発見された。
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