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インディラー・ガーンディー : ウィキペディア日本語版
インディラ・ガンディー

インディラ・プリヤダルシニー・ガンディー(Indira Priyadarshini Gandhi / इंदिरा प्रियदर्शिनी गाँधी、1917年11月19日 - 1984年10月31日)は、インド女性政治家で第5代、8代首相。日本語ではガンジーとも表記される。
インドの初代首相であるジャワハルラール・ネルーは父。息子にインド第9代首相を務めたラジーヴ・ガンディー、及びサンジャイ・ガンディーがおり、この政治家一族は「ネルー・ガンディー王朝」と呼ばれるようになった。
なお、姓こそ同じであるものの「インド独立の父」マハトマ・ガンディーとの血縁関係は一切ない。
== 経歴 ==

=== 首相になるまで ===

1917年イラーハーバードで父ジャワハルラール・ネルーと母カマラの間に一人娘として生まれた。インディラの家庭は富裕なバラモン階級の家柄であった。ネルーはインディラの生まれたころからインド国民会議派の独立運動家として活動するようになる。インディラの祖父(ネルーの父)であるも国民会議派の独立運動家だった。
インディラは父ネルーが独立運動に従事し、何度も投獄されるのを目の当たりにしながら幼少期を過ごす。なお、ネルーの著書『父が子に語る世界歴史』は、独立闘争で獄中にあった彼が、娘であるインディラに書き送った手紙が基になっている。
インディラは1930年代後半にイギリスに渡ってオックスフォード大学サマーヴィル・カレッジで学んだ。インドに帰郷後、1942年パールシー教徒であるフェローズ・ガンディーと結婚、フェローズは政治的理由からガンディー姓に改姓していた。
1947年インドが独立すると、夫フェローズは国会議員として活動するようになる。しかし夫婦はすれ違うようになり関係が悪化する。フェローズが1957年の総選挙の直後に病に倒れると、インディラは献身的に介護を行い、関係が改善するが、それも長くは続かず、1960年にフェローズは死亡した。
インディラは1959年にインド国民会議総裁に就任し、政治の表舞台に姿を現す。ただしインディラは総裁職を1年で退任している。
1964年5月27日、ネルーが首相在任中に死去。その娘であるインディラは父の支持者から政界に進出するよう圧力を受け、内閣の情報放送大臣に就任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Indira Gandhi 」があります。



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