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インドにおける仏教の弾圧 : ウィキペディア日本語版 | インドにおける仏教の弾圧[いんどにおけるぶっきょうのだんあつ] インドにおける仏教の弾圧(インドにおけるぶっきょうのだんあつ)では、5世紀頃に起きた仏教の弾圧について述べる。これにより、13世紀までにインド国内の仏教はほぼ完全に一掃された。
== ミヒラクラ王の破仏 == 5世紀中期にアフガニスタンで勃興し、5世紀末にはグプタ朝と衝突し、ガンダーラ・北インドを支配したエフタルでは、その王(Mihirakula、在位512年-528年頃)の代に、大規模な仏教弾圧が行なわれた。この王のことは、『洛陽伽藍記』に附載される、北魏の官吏宋雲と沙門恵生の旅行記『宋雲行記』に見ることが出来る。ミヒラクラは、ゾロアスター教系と思われる「天神火神」を信仰し、仏教を弾圧したとされる。弾圧された仏教側では、この事件を契機に末法思想が盛んになり、東アジアに伝えられることとなる。隋代に中国に来朝した訳経僧、那連提耶舎は、釈迦が外道の蓮華面の転生であるミヒラクラ王の破仏のことを予言した、とする内容を説く『蓮華面経』を漢訳している。〔山田龍城「蓮華面経について:グプタ末期のインド仏教事情」(『山口博士還暦記念印度学仏教学論叢』、1955年)〕〔藤善真澄「末法家としての那連提黎耶舎:周隋革命と徳護長者経」(『東洋史研究』46-1、1987年)〕
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「インドにおける仏教の弾圧」の詳細全文を読む
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