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インドネシア国軍(インドネシアこくぐん、, , 略称:)は、インドネシアの軍隊。陸軍(TNI-AD)・海軍(TNI-AL:海兵隊を含む)・空軍(TNI-AU)の3軍種からなり、432,129名の人員を有している。かつてはインドネシア共和国国軍( 略称:ABRI "Republic of Indonesia Armed Forces")と称していた。 == 概要 == インドネシアは、世界最多数の島嶼に世界第4位の人口が散在して生活しており、国境線の防衛は困難である。また、インドネシアにおいては、その民族・宗教などの多様性や、人口・経済力・政治力の集中するジャワ島・ジャワ人への反発もあって、いくつかの紛争を抱えていることから、治安維持も国軍の重大な任務である。また、スハルト政権下でインドネシア軍は、国家を防衛するとともに、これを監督するものとして位置づけられていた。実際、9月30日事件においては、国軍とインドネシア共産党が対立する構図が背景となっている。スハルト政権の多くの閣僚が軍人としての経歴を有していて、このことは、社会全体に軍の影響力をおよぼすこととなり、多様な民族・宗教を有する同国の統一に益することとなった。しかし、この方針は同時に、政府の軍に対する統制を弱体化させることとなった。インドネシア軍は、9月30日事件直後のインドネシア共産党の物理的解体など、複数の重大な人権侵害事案を主導または関与したとして、国際的な非難を受けている。 インドネシア国軍は、インドネシア独立戦争の最中にゲリラ戦部隊として誕生した。1945年8月17日のインドネシアの独立直後の22日、人民治安団(Badan Keamanan Rakyat)が政府布告によって結成され、さらに10月5日には、より軍事組織としての性格を強めた人民治安軍(Tentara Keamanan Rakyat)が結成されている。これらは、日本の占領下で現地軍として編成されていた郷土防衛義勇軍や蘭印軍などの将兵を糾合し、急速に体制を整頓していった。また、その過程において多数の日本軍将兵が国軍の創設を援助していたことが知られている。 2000年1月までは警察も国軍の管轄下に置かれていたが、民主化に伴う改革の一環として同月以降は国軍から分離され、国家警察本部として再編された。 現在のインドネシアは志願制度である〔外務省:インドネシア共和国 〕。兵器体系は、かつてはアメリカに準じていたが、東ティモール問題のために禁輸措置を受けてからは、東側の兵器も導入されている。なお、禁輸措置は2005年に解除された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「インドネシア国軍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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