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インドロ・モンタネッリ公共庭園 : ウィキペディア日本語版
インドロ・モンタネッリ公共庭園[いんどろもんたねっりこうきょうていえん]

インドロ・モンタネッリ公共庭園()はイタリアミラノにある公園。かつては単に公共庭園またはポルタ・ヴェネツィア公共庭園と呼ばれていたものを、2002年にイタリアを代表するジャーナリストであるインドロ・モンタネッリに因んで改名された。
この公共庭園は、1784年にミラノで最初に開設された最古の公園で、開設以来徐々に面積を広げ現在の広さは172,000m2である。園内にはミラノ市立自然史博物館(1888年~1893年建築)やミラノ・プラネタリウム(1930年建築)などの著名な施設がある。
== 歴史 ==
18世紀、公共庭園の予定地はドゥニャーニ(Dugnani)家の所有地で主に農場として使われており、いくつもの水路が横切っていた。また、オーストリアの統治時代に閉鎖された聖ディオーニジ修道院やCarcanine修道院の敷地も含まれている。1780年、ミラノ総督フェルディナント・フォン・エスターライヒは建築家に命じて地区の再開発と公園の開設を命じ、公共公園は1782年から1786年にかけて造営された。ピエルマリーニの設計はフランス式庭園(整形庭園)に影響を受けたもので、花壇や園路が幾何学的に配置されていた。敷地の北東部にはサッカーに興ずるための広場が設けられていた。1856年から1862年に掛けて建築家ジュゼッペ・バルザレットにより、西側部分がイギリス式庭園をモデルに設計され、人口の丘や池、岩などが配されることとなった。この造園工事はイタリア統一運動(リソルジメント)後になって完成た。19世紀にはミラノ市立自然史博物館が開設され、当時は屋外展示として鹿や猿、キリン等が飼育されていた。これらの動物の死骸の一部は剥製にされ、現在でも自然史博物館内に展示されているものもある。また、当時の屋外展示の名残として「巨大な猫用ゲージ」が園内に残っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「インドロ・モンタネッリ公共庭園」の詳細全文を読む



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