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インド・パルティア王国 : ウィキペディア日本語版
インド・パルティア王国[いんどぱるてぃあおうこく]

インド・パルティア王国は、1世紀頃現代のアフガニスタンパキスタン北インドを含む領域に、パルティア人の指導者ゴンドファルネスによって建設された王国。
== 歴史 ==

=== 東方領土への進出 ===
匈奴冒頓単于(在位:紀元前209年 - 紀元前174年)治世下で強大化して西方を脅かすようになると、元来タリム盆地に拠点を置いていた遊牧民大月氏サカ人の領土を奪い取り西遷した。
パルティアミトラダテス1世(在位:前171年 - 前138年)の治世には、北西インドのサカ人が本拠地のに侵入し始めた。紀元前128年フラーテス2世はサカ人討伐に失敗して戦死し、インド・スキタイ人インド・スキタイ王国大月氏大夏によって東方領土は占領されていた。
ローマとの抗争や、紀元前92年ミトラダテス2世の死などによってパルティア王国が弱体化すると、パルティアの大貴族(王族から分岐した氏族)は東方領土に侵入を開始した。パルティア人は、ガンダーラ地方でクジュラ・カドフィセス(後にクシャーナ朝の王となる)など大月氏側の多くの地方領主と戦った後、全バクトリア北インドの広大な領域を支配下に治めた。インド・スキタイ王国は、最後の王が紀元前12年頃に死去するまで存続した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「インド・パルティア王国」の詳細全文を読む



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