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インド国民会議(インドこくみんかいぎ、英語:Indian National Congress、略称:INC、ヒンディー語:भारतीय राष्ट्रीय कांग्रेस)は、インドの政党。日本語では慣例的に国民会議派、あるいはコングレス党(Congress Party)とも称される。世界では中国共産党に次いで規模が大きい政治団体であり、民主主義国家の中では世界最大となる。中道左派で民主社会主義を掲げる場合もあるが、同時に保守およびポピュリズムの傾向や、インドの財界・財閥との関係も強い。さらに経済政策に新自由主義の傾向があるとされる場合もあり〔Frontline Mar. 09-22, 2013 〕、包括政党の様相を呈している。 == 歴史 == === 発足当初 === 1885年、英領インドのボンベイ(現・ムンバイ)で、72人の代表を集めて第1回の会議が開催された。この会議は、インドにおける人種差別的行政に憤ったイギリス人官僚、アラン・オクタヴィアン・ヒューム(教育行政に尽力した官僚だが、インドでは鳥類の研究者としての方が有名)がインド人初のイギリス下院議員となったダーダーバーイー・ナオロージーらとともに、インド知識人層の不満を吸収しつつ、インド人の政治参加を漸次拡大するための体制補完的、穏健的な団体として設立したもので、当初は、年末の4日間だけ活動する程度のものであった。これは、当時のインド総督の承認のもと開催され、「急増する反英勢力への安全弁」としての役割を期待されていた。 しかし、19世紀末よりバール・ガンガーダル・ティラク、オーロビンド・ゴーシュなどの急進派が台頭し、公然とスワラージ(自治・独立)を掲げる姿勢を見せた。先んじて1883年に全インド国民協議会を結成し、人種差別に反対していたS・バネルジーも全インド的な民族運動団体の設立を目指し合流し、穏健派を形成(後に脱退)した。 設立当初のメンバーは、教育を受けた中間層エリート、産業界の代表らから成り、大衆にまで広く浸透していた団体とはいえなかったが、一貫して「民族的団結の強調」「英国による対印抑圧政治の批判」「民衆の貧困」を強調したことは、民族運動初期のインド大衆世論の形成に大きな役割を果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「インド国民会議」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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