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インド海軍(भारतीय नौसेना, ''Bharatiya Nau Sena''、Indian Navy)はインド軍の軍種の一つで、インド洋で活動する海軍では最大級のものである。 インド海軍の主な目的は、インドの海洋権益に対する脅威や侵略の抑止であり、インドの政治、経済、インド周辺の海域での安全性の確保と、災害救援などの人道的支援を通じて国際関係を強化することにある。多国間合同演習も盛んで、特にアメリカ海軍とは1992年から海上合同演習「マラバール」を続けている。 2008年からソマリア沖の海賊の、対テロ戦争の一環として、インド洋・アラビア海・ペルシア湾などで海上阻止行動/海上治安活動などの作戦行動を行なっている合同海上部隊に参加し航行する船舶の護衛にあたってる。 2014年時点の総員は、約58,350名で、この中には7,500名の士官、5,000名の海軍航空隊、2,000名の特殊作戦部隊を含む。保有艦艇を2015年時点の137隻から2027年までに約200隻へ増やす計画である。空母は3隻、潜水艦は20隻以上に増強し、インド洋の東西で同時に艦隊を展開させられる態勢を目指す〔日本経済新聞:インド、海軍を大幅増強 中国の海洋進出にらむ 〕。 ==概要== ===前史=== インドは有史以来アラビアなどと海上交易をしていたので、ある程度の海上戦力を有していたと考えられるが、これは現在のインド海軍とはあまりつながりがない。近代インド海軍の始まりはイギリスの東インド会社がポルトガルとのに勝利したところからであるといわれている。 1612年9月5日、東インド会社はインドでの利権を守るためにスワリー(Suvali;英名 Swally)に艦隊を設置した。この艦隊は商船の護衛を任務とするもので、大規模な海戦を戦うためのものではなかった。 1665年2月8日に東インド会社がボンベイ(現・ムンバイ)を占領、以降拠点として整備するようになる。これにより艦隊も活動範囲を広げるようになった。 1686年、艦隊はボンベイ海軍の名を与えられポルトガルやフランス、オランダの海軍と戦うようになった。1824年のビルマ戦争も戦った。 1830年になるとボンベイ海軍は女王陛下のインド海軍(Her Majesty's Indian Navy)と名を改められ、イギリス海軍の一部となった。活動範囲はさらに広がり、中国との戦いにも用いられるようになった。 インド海軍は1863年に再びボンベイ海軍へと名を戻したが、1877年には再び女王陛下のインド海軍となった。この頃の海軍はカルカッタとボンベイを根拠地とした。 1892年、インド海軍は(Royal Indian Navy)と名を変えた。王立インド海軍は50隻の軍艦を運用していた。 20世紀に入ると、第一次世界大戦では物資をアフリカ各地へ送る任務を行ったものの、直接的な戦いをすることはなかった。 第二次世界大戦でもイギリス本国に対して豊富な物資を輸送する任務についた王立インド海軍には枢軸国からの苛烈な通商破壊に晒された。その中には数隻の日本海軍の潜水艦も含まれている。この時期の王立インド海軍は30,000の兵士と117機の軍用機、8隻の軍艦を運用していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「インド海軍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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