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インバーカーギル
インバーカーギル(、)は、ニュージーランド南島サウスランド平野に位置する町であり、国内最南端に位置する町である。人口は、50,328人(2006年度ニュージーランド統計局人口統計より)。 == 歴史 == 1100年代にマオリ族の部族が現在のサウスランド地方に入植し海産物、鳥類などを狩猟し生活を始める。部族は石などを材料に工芸品を制作し、部族の工芸品はニュージーランド全土へ行き渡る。1700年代後半にヨーロッパからの調査船が来航し、1800年代初頭に亜麻を収穫するためヨーロッパ人が入植する。1829年に捕鯨を目的とする船員たちが入植を始める。マオリ族の女性と結婚するヨーロッパ人が増え次第に人口と定住者が増加する。1848年にスコットランドからオタゴ地方ダニーデンへ入植してきた長老派教会の分派である自由教会の教徒が土地を購入し牧畜を始めスコットランド系入植者による開拓の歴史が始まる。その後亜麻を紡ぐ工場が周辺地域に設立され、1858年にはオーストラリアから家畜を輸入するため、旧ニュージーランド総督であったトーマス・ブラウンに陳情しバルフに港の設置を求める。ブラウンは港設置を了承し、入植地にインバーカーギルの名を与える。インバ(''Inver'')とはスコットランド・ゲール語で“''inbhir''”と表記し河口を意味する。カーギル(''Cargill'')は当時オタゴ警視であった名誉艦長ウイリアム・カーギルから名を取り命名した。その歴史からインバーカーギル(Invercargill)と表記するも、現在でもスコットランド訛りの“インバカーゴ”と発音される。1860年代にゴールドラッシュが起き、人口増加するもおよそ10年で終息する。ゴールドラッシュで経済的繁栄を得た歴史はダニーデン市同様、市内各所に建設されたヴィクトリア朝建築・エドワード朝建築に見ることができる。1861年にオタゴ州から独立し1861年から1870年までサウスランド州の州都であったが財政難からその後オタゴ州に再編される。1867年にブルーフからインバーカーギルへのおよそ27キロメートル区間で鉄道が開通する。1890年代後半から1900年代初頭にかけ農業・酪農が盛んになり乳製品加工工場、冷凍食肉加工工場などが設立され1891年から1916年の間に人口はおよそ2倍に増加した。現在はサウスランド地方最大の町として存在する。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「インバーカーギル」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Invercargill 」があります。
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