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イヴァン・クラスニッチ(Ivan Klasnić, 1980年1月29日 - )は、ドイツ・ハンブルク出身のクロアチア代表の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 ボスニア生まれのクロアチア人の父親とドイツ人の母親から生まれたハーフで、父方の縁であるクロアチア代表としてプレーする事を選択、2004年2月にドイツ戦で代表デビューを飾っている。 ==経歴== ドイツで生まれ育ったクラスニッチはドイツの3部リーグに相当するSCウニオン03ハンブルクでキャリアをスタートさせる。2部FCザンクト・パウリ在籍時にブレイク、その活躍が認められヴェルダー・ブレーメンに移籍する。 移籍当初は思い通りの活躍ができず、マスコミから批判されたがトーマス・シャーフ監督は彼を見捨てなかった。試合に出るうちに調子を取り戻し、レギュラーを確保、ゴールとアシストを量産し2005-06シーズンには、ブンデスリーガのアシスト王になった。 2006年にはクロアチア代表として、ドイツW杯に出場した。 2007年1月下旬、腎臓病のため母からの腎臓移植手術を受けるが、拒絶反応が出て失敗に終わった。結局父からの移植に成功したが、その後ブレーメンの医療チームの初期治療に落ち度があったとして提訴した。 2007年10月30日ヴェルダー・ブレーメンのセカンドチーム(3部)の一員としてDFBポカール2回戦で先発出場、67分までプレーし公式戦カムバックを飾った(ちなみに10月25日の練習試合では2ゴールを上げている)。翌年3月にはクロアチア代表にも復帰し、EURO2008のメンバーにも招集された。腎臓移植手術を経て復帰した2008年大会ではグループリーグ最終戦のポーランド戦で決勝点を上げ、「強い意志があれば何でもできることを示したい。」という名言を残す。 2008年夏にフランスの古豪FCナントに移籍したが、チームは19位に終わりリーグ・ドゥ(2部)に降格した。2009年8月31日、移籍期間の最終日にボルトン・ワンダラーズFCにレンタル移籍した。2011年8月4日、ボルトンに完全移籍。 2011-12シーズン終了を持って契約満了のため、ボルトンを退団。2012年9月3日にマインツ05へ移籍。4年ぶりにブンデスリーガへ復帰した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イヴァン・クラスニッチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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