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李 正秀(イ・ジョンス、Lee Jung-Soo、、1980年1月8日 - )は、韓国出身の同国代表サッカー選手。ポジションはDF(センターバック)。妻は日本でも活動したタレントのハン・テユン。 なお、日本での登録名は、京都サンガF.C.在籍時は「李正秀」と漢字表記であったが〔京都サンガF.C. プロフィール 〕、鹿島アントラーズ在籍時は「イ・ジョンス」とカタカナ表記であった〔J's GOAL ニュースにて「登録名はカタカナとなります」と明記 〕。 == 来歴 == === クラブ === 慶熙大学校を卒業後、2002年にKリーグの安養LGチーターズでプロデビューを果たす。2004年、仁川ユナイテッドFCへ移籍。2005年には仁川ユナイテッドを取り上げたドキュメンタリー映画「飛翔 」にも出演した。 2006年1月、水原三星ブルーウィングスへ移籍。2008年8月2日に行われたJOMO CUPにKリーグ選抜として先発フル出場した。 2009年シーズンからはJリーグ京都サンガF.C.に「アジア枠」の選手として加入。第3節には移籍後初得点をヘディングで決めた。8月8日に行われたJOMO CUP 2009ではJリーグ選抜として2年連続出場し、フル出場でチーム2点目を決めるなどの活躍からMVPに選出された。 2010年シーズンから鹿島アントラーズに加入した。加入後初得点は3月27日のリーグ第4節モンテディオ山形戦で、ヘディングを決めた。 2010年7月、カタールリーグのアル・サッドへ移籍した。 ACL2011の水原三星との準決勝第1戦(アウェー)で、負傷選手の治療のために水原の選手がボールをタッチラインに蹴りだしたのだが、アルサッドは即座にスローインしてプレイを再開。水原の選手があっけにとられる間にゴールを決めた。しかも、このアウェーゴールが決勝点となり、アルサッドはファイナリストの座を得た。水原三星戦の疑惑のゴール直後、イ・ジョンスはチームメイトに「フェアじゃない。1ゴール譲るべきだ」と訴えたが、受け入れられなかった。すると彼は、解雇覚悟で自ら選手交代を名乗り出た。11月中旬の韓国紙のインタビューでは「選手とは問題がないが、スタッフが話しかけてこなくなった」と告白もしている。また、アウェーでの1発勝負だった全北現代との決勝戦後にも喜びの輪にほとんど加わらなかった。カタール帰国後の優勝パーティーにも「すぐに代表の試合があるから」と参加しなかった。ちなみに決勝のPK戦では、2-2から迎えた自らのキックで、シュートを失敗する一幕もあった〔【クラブW杯】元鹿島・イ・ジョンス激白。アルサッドでの信じられない待遇 sportiva 2011年12月11日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李正秀」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lee Jung-soo 」があります。 スポンサード リンク
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