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李 博士(イ・パクサ、1954年10月5日 - )は、韓国の歌手。京畿道南楊州市磨石(マソク)出身。ポンチャック・テクノの第一人者として知られる。 日本でのキャッチフレーズは「ポンチャックの帝王」。1990年代半ばに、ほんの短期間ではあるものの、ポンチャックブームを引き起こした。 == 来歴・人物 == 京畿道でパンソリを教える両親のもとに生まれる。自身もパンソリを会得していたが、もっと大衆受けする音楽に興味を持つと共に、同じフレーズのリフレインと軽快なメロディによるポンチャックへと音楽性を移行させると、韓国の観光会社が運営する観光バスでポンチャック歌手として20年にわたり活動を続ける。当時からレパートリーは5万曲を数え、揺れる車内で7時間連続で歌い続けたこともあったという。 本来、ポンチャックは中高年向けのダンスミュージック、あるいはタクシー・バス運転手の眠気覚ましの曲として軽んじられてきた。しかし、イ・パクサはこれらの日本における人気を受け、韓国に逆輸入される形で2000年にファーストアルバム(それ以前はカセットテープでの発売)「SPACE FANTASY」を発売し、若者を中心にしてヒットしている。 日本ではその特異なキャラクターが受けて、1995年に金鳥「コックローチS」のCMに出演し、江原道アリランの替え歌を歌った。また、フジテレビ系の『HEY!HEY!HEY!』に出演した2番目の外国人歌手でもある。電気グルーヴの前座としてではあるが、日本武道館で公演をしたことがある。 これらのヒットを契機に、2001年に自伝『ハンボン・マンナボルッカヨ?』(。一度会ってみようか?)を出版し、ベストセラーになった。儒教社会が未だに色濃い韓国で、学歴がないことは大変に恥ずかしいことであるが、それを「家が貧乏すぎて中学校に行く金がなかった」と正々堂々のカミングアウトをしたことで、逆に「苦労して実力で生きてきた人」と見られている。また、自伝には離婚しても引っ越す金がなく、前妻と後妻が一時同居していたというユニークなエピソードもある。 現在はソウル市内在住で活動を続けている。妻と一男の三人暮らしで、大変な子煩悩。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李博士」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Epaksa 」があります。 スポンサード リンク
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