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イーホル・スヴャトスラーヴィチ : ウィキペディア日本語版 | イーホル・スヴャトスラーヴィチ
イーホル・スヴャトスラーヴィチ(古ルーシ語: ;;1151年 - 1202年)は、キエフ大公国時代のリューリク朝オーリホヴィチ家の公。シヴェーリア公(1178年 - 1198年)、チェルニーヒウ公(1198年‐1202年)。チェルニーヒウ公スヴャトスラーヴ・オーリホヴィチの次男。日本語では名は「イーゴリ」とも表記される。 1161年、アンドリーイ・ユーリヨヴィチ公によるキエフへの出兵に参陣した。1174年、ペレヤースラウの周辺でコンチャク・ハンとコビャク・ハンが率いる欽察人の軍勢を破った。兄オレーフ・スヴャトスラーヴィチの死後、ノーウホロド=シーヴェルシクィイ公となった。キエフ大公の座を巡る内紛に参加した。1183年、欽察人の領土へ出兵し、勝利を収めた。しかし、1185年に行った新たな出兵において惨敗を喫し、欽察人の捕虜となった。1185年度の出兵は『イーゴリ遠征物語』のモチーフとなった。その後、父の跡を継ぎチェルニーヒウ公をつとめた。 == 参考文献 ==
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