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イ式重爆撃機[いしきじゅうばくげきき] イ式重爆撃機(イしきじゅうばくげきき)は、大日本帝国陸軍がイタリアから輸入して使用したフィアット BR.20爆撃機の日本側通称。「イ式」は「イタリア」の「イ」に由来する。1938年(昭和13年)に85機が輸入され、九七式重爆撃機が配備されるまで使用された。連合軍のコードネームはRuth(ルース)。 == 輸入 ==
1937年(昭和12年)7月に日中戦争(支那事変)が勃発した際、陸軍が使用できる重爆撃機は時代遅れの九三式重爆撃機しかなく、新鋭後継機である九七重爆の配備にはまだ時間がかかる状態だった。そのため陸軍は中継ぎの爆撃機を輸入して対応する計画を立て、当初はドイツのハインケル He 111の輸入を希望した〔連合軍が日本軍機に与えたコードネームの中に「Bess(ベス)」というものがあり、中島飛行機がHe 111を国産化した「九八式中型爆撃機」としている。もちろん実在しない架空機であり、連合軍側の誤認によるものだが、あるいはこの輸入話と関連しているおそれがある。〕が、ドイツ軍部の反対で実現せず、イタリアからの輸入に方針を転換した。爆撃機購入使節団は1938年にイタリアに赴き、カプロニ・ベルガマスキ Ca.135と比較審査の上、設計がより先進的だったフィアット BR.20の輸入を決定した。購入費用は、当時の金額で6,000万円だった(満州産の大豆とのバーター取引だったという説もある)。 陸軍の発注は100機だったが実際に輸入されたのは85機(88機、72機とも)とされる。輸入機は、イタリア王国軍規格の爆弾・旋回機関銃や各種部品類と共に、1938年1月から順次大連に船便で到着し、直ちに日中戦争に実戦配備された。なお、大連に着いた第一陣の船には、運用指導のためにイタリア空軍やフィアット社の関係者も同乗していた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イ式重爆撃機」の詳細全文を読む
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