|
ウイスキー・ア・ゴーゴー(英語名:Whisky a Go Go)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ウェスト・ハリウッドにあり、サンセット大通り8901番地、サンセット・ストリップに位置するナイトクラブ。アメリカで最初の本格的なディスコであると言われている。ウィスキー・ア・ゴーゴーの正式なつづりは「Whiskey a Go Go」ではなく、画像や公式サイトにもあるように「Whisky a Go Go」が正しい。なお、「Whisky a Go Go」 の名称は、ポール・パシーヌが1947年にフランスのパリに開店したディスコテック「Whisky à Gogo(またはGo-Go)」にあやかっている。 == 沿革 == ウィスキー・ア・ゴーゴーは1964年1月11日、シカゴで警察官をしていた経歴を持つエルマー・ヴァレンタインによって設立された。この場所は元々は銀行の建物であり、その後「パーティ」という名のクラブに改装されていたが長くは続かなかった。この時ヴァレンタインは弁護士のセオドア・F・フライヤー、広報のシェリー・デイヴィスとフィル・タンジーニらと手を組んでいた。 このクラブは録音された音楽を流すディスコとして宣伝されたにもかかわらず、ウィスキー・ア・ゴーゴーはジョニー・リバーズ率いるバンドと、彼らの演奏の合間にミニスカートをはいた女性DJが、ステージ右側に吊り下げられた檻でレコードを回すというスタイルでオープンした。リバーズのバンドが演奏している間に女性DJが踊った際、観客はそれが演出の一部であると考えた。こうして女性たちが檻の中で踊るゴーゴーダンサーのコンセプトが生まれたのである。リバーズはその後ウィスキー・ア・ゴーゴーで一部を収録したアルバム「ライブ・アット・ザ・ウィスキー」をヒットさせ、ここで生まれた「ゴーゴー」は国民を熱狂的な流行の渦へと巻き込んだ。その後ミラクルズが1966年に「ゴーイング・トゥー・ア・ゴーゴー」を録音すると(この曲は1982年にローリング・ストーンズがカバーしている)、ウィスキー・ア・ゴーゴーのフランチャイズ店がアメリカ中に次々と現れた。 1966年、ウィスキー・ア・ゴーゴーはサンセット・ストリップにおいて、度々暴動の中心地の一つとなった。クラブはその名称に含まれている「ウィスキー」という言葉が悪影響を及ぼすのだとされ、一度名称を変えるよう命じられるなど、ロサンゼルス市から繰り返し注意を受けていた。また「ウィスク?」という名称に変えた時期もあった。おそらくはロサンゼルスにおけるロック・シーンも、このウィスキー・ア・ゴーゴーが創業した際に生まれたのだろうとされる。ロックからパンク、ヘヴィメタルまで、クラブは多くの音楽動向の最前線に立った。 ウィスキー・ア・ゴーゴーは多くのアーティスト、特にカリフォルニア南部を拠点に活動するバンドのキャリアに、重要な役割を果たしている。ドアーズが自身の曲、「ジ・エンド」に登場する「エディプスコンプレックス」な歌詞でその人気に火がつくまで、バーズ、バッファロー・スプリングフィールド、ラブが常連バンドとして名を連ねた他、ドアーズはしばらくの間クラブの専属バンドを務めた。またフランク・ザッパが「マザーズ・オブ・インベンション」でレコード契約を獲得したのも、このクラブで行ったライブ・パフォーマンスが元である。ジミ・ヘンドリックスはサム・アンド・デイヴが主演を行った際にジャム・セッションを行うため訪れており、オーティス・レディングは自身のアルバム「ライブ・アット・ザ・ウィスキー」を1966年にウィスキー・ア・ゴーゴーで録音した。タートルズはシングル「ハッピー・トゥゲザー」を演奏し大ヒットを記録するが、この曲を編曲したベーシスト、チップ・ダグラスがモンキーズのギタリスト、マイク・ネスミスにモンキーズのプロデューサーにならないかと誘われ、メンバーを一人失うことになってしまった(チップはそれから1年後にプロデューサーとしてタートルズへ戻る)。時折ニール・ダイヤモンドもここでライブを行った。 更にキンクス、ザ・フー、レッド・ツェッペリン、ロキシー・ミュージックやオアシスと、多くのイギリスのバンドがウィスキー・ア・ゴーゴーで主演を行った。1970年代後半には、ウィスキー・ア・ゴーゴーがニュー・ウェイヴの台頭やパンク・ロック・ムーヴメントの中心となり、ラモーンズ、ディクテイターズ、ミスフィッツ、ブロンディ、トーキング・ヘッズ、エルヴィス・コステロ、XTC、ジャムらが上演する中、ジャームズ(ウィスキー・ア・ゴーゴーでアルバムを収録)、ランナウェイズ、X、モトリー・クルー、ヴァン・ヘイレンなど、様々な地元のバンドが頻繁に演奏を行った。 しかしウィスキー・ア・ゴーゴーはパンク・ロックの流行が衰えた際に苦境を迎え、一度1982年に閉鎖を余儀なくされた。その後1986年に、興行者やバンドが借りることのできる場として営業を再開した。内部に設けられた少数のブースは区分けされたままであったが、内部のほとんどは観客達が立って演奏を聴かなければならない程、むきだしで椅子のない空間へと改装された。こうして国内の不況に反して、ガンズ・アンド・ローゼズやメタリカを含む多くのハードロック、メタルバンドを、1980年代中に輩出する事となった。 1990年代初頭には、サウンドガーデン、ニルヴァーナ、マッドハニー、メルヴィンズ、7イヤー・ビッチを含み、後に「グランジのゴッドファーザー」という肩書きを与えられる、シアトルを拠点とした多くのミュージシャン達がこのウィスキー・ア・ゴーゴーで演奏を行っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィスキー・ア・ゴーゴー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|