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ウィラード・ミット・ロムニー(Willard Mitt Romney, 1947年3月12日 - )は、アメリカ合衆国の実業家、政治家、元マサチューセッツ州知事(第70代、2003年 - 2007年)。所属政党は共和党。2008年アメリカ合衆国大統領選挙候補者。2012年アメリカ合衆国大統領選挙候補者。 == 経歴 == 後にミシガン州知事となるジョージ・ロムニーの次男としてデトロイトで生まれた。主にイングランド系の血を引き、わずかにスコットランドとドイツの血を引く〔Mahoney, ''The Story of George Romney'', pp. 52, 70.〕 。父親からの教育で「公に尽くす」ことを旨とする。アメリカン・モーターズを再生に導いた実業家でもあった父の影響で、幼いころはゼネラル・モーターズ(GM)の経営者となることに憧れていたという。 ミシガン州の男子高校クランブルック・スクールを卒業後スタンフォード大学に進学するが、まもなく渡仏しパリとボルドーで2年間、末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師として伝道活動に従事した〔Mitt Romney lambasted in attack ad for speaking French , BBC News, 13 January 2012〕。この期間にポーで交通事故に逢い、瀕死の重傷を負っている。帰国後ユタ州のブリガムヤング大学を最優等(''summa cum laude'')で1971年に卒業。ハーヴァード大学のビジネス・スクール・ロー・スクールのジョイント・プログラムでMBA・法務博士(J.D.)号を取得した。ビジネス・スクールでは上位5%の成績優秀者に与えられるベーカー・スカラーを得て、ロー・スクールは優等(''cum laude'')で修了した。 卒業後引く手数多だったロムニーはマサチューセッツに残り、ボストン・コンサルティング・グループでビジネス・コンサルタントとしてのキャリアをスタートした。1978年にベイン&カンパニーに移りモンサント、アウトボードマリン、バーリントン・インダストリー、コーニングといった企業を手がける中で、ヴァイスプレジデントでありながらシニアパートナーらを凌ぐトップ・コンサルタントとなった。 1984年にはPEファンドのベインキャピタル社を共同で設立。当初はベンチャー・キャピタルとして、後にはLBOを駆使するバイアウト・ファンドの草分けとして多くの事業を手がけ、ロムニーがトップであった14年間に年平均IRR113%という驚異的な収益を得るなど、同社を世界有数のファンドに育て上げた〔The Romney Files: From Bain to Boston to White House Bid Ritholtz.com,2011年4月11日〕。1990年には経営危機に陥っていた古巣ベイン&カンパニーに請われてCEOとして復帰し1年で経営再建に成功した。 1994年には共和党からマサチューセッツ州選挙区の上院議員選に立候補した。民主党の有力政治家であったエドワード・ケネディに敗れたもののロムニーは善戦し、結果的にケネディの経験した選挙の中で最も接戦となった。1999年にはスキャンダルの発覚や予算の超過で問題を抱えていたソルトレイクシティオリンピック組織委員会の会長に就任し大会を成功に導いた。このことはビジネス界の外を超えて全米規模でロムニーの名を認知させることになり、また経営再建のプロとしての名声を決定的なものにした。 この功績が評価されマサチューセッツ州知事選の共和党候補となったロムニーは2002年11月の州知事選に勝利した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミット・ロムニー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mitt Romney 」があります。 スポンサード リンク
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