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ウィリアム・サマセット・モーム(William Somerset Maugham、1874年1月25日 - 1965年12月16日)は、イギリスの小説家、劇作家。 フランス、パリ生まれ。10歳で孤児となり、イギリスに渡る。医師になり第一次大戦では軍医、諜報部員として従軍した。1919年に『月と六ペンス』で注目され、人気作家となった。平明な文体と物語り展開の妙で、最良の意味での通俗作家として名を成した。作品に『人間の絆』『お菓子とビール』や短編「雨」「赤毛」、戯曲「おえら方」など。ロシア革命時は、イギリス情報局秘密情報部に所属した情報工作員であった〔S・モームもスパイ、英「M16」正史、極秘情報公開(朝日新聞 2010年9月23日)、川成洋『紳士の国のインテリジェンス』(集英社新書 2007年)「世界的な有名作家をカバー(偽装)に利用したスパイサマセット・モーム(1874~一1965)」。作品としては『アシェンデン』がある。〕。同性愛者としても知られている〔海野弘著『ホモセクシャルの世界史』〕。 == 経歴 == === 孤独な青年期 === 1874年1月25日にフランス、パリで出生する。両親ともにイギリス人で、父ロバートはパリのイギリス大使館勤務の顧問弁護士で、サマセットは4人兄弟の末子であった。父と母とは17歳離れており、母メアリは名家の出身で軍人の娘、非常な美人でパリ社交界でも花形であった。そのもとには作家メリメや、画家ドレも訪れたという。 8歳のときに母が肺結核で、10歳のときに父が癌で没し、一家はバラバラとなる。モームはイングランド南東部ケント州のウィットステイブルで、牧師をしていた叔父ヘンリー・マクドナルドのもとに引き取られた。叔父とは不仲で、慣れない田舎暮らしで孤独な生活を強いられた。13歳でカンタベリーのキングズ・スクールに入るが、英語をうまくしゃべれず、加えて生来の吃音のため迫害され、生涯のコンプレックスとなった。これらの経験は、自伝大作『人間の絆』の前半部分に描写されている。 14歳から15歳の時、肺結核を病んで南仏で転地療養し、初めて気ままな青春の日々を送った。16歳のときドイツのハイデルベルク大学に遊学する。この間、多くの人と接する法律家や牧師の仕事が不向きと悟り、作家を目指すようになるが、牧師を望む叔父と対立し、結局18歳の時に、ロンドンの聖トマス病院付属医学校に入学する。学業には打ち込まず、主に耽美派などの文学書を読みふけった。また貧民街に居住し、インターンで病院勤務したことで、赤裸々な人間の本質をよく知ることとなった。 この間の経験を生かし、1897年にフランス自然主義文学に学んだ処女作『』を出版、一定の評価を得るが、売れ行きは芳しくなかった。同時期に卒業し、医師の資格を得た。文学者となることを決め、その後も作品を発表し続けたが成果を得られず、試行錯誤を繰り返した(自身納得できず、以下の一覧にわかるように、この時期の作品の多くを封印している)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サマセット・モーム」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 W. Somerset Maugham 」があります。 スポンサード リンク
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