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ウィリアム・ジャクソン・フッカー(William Jackson Hooker, FRS、1785年7月6日 – 1865年8月12日)は、イギリスの植物学者、植物画家である。グラスゴー大学の植物学のレジウス教授職(Regius Professor)を務め、キューガーデンの園長を務めた。ジョセフ・バンクスの友人であり、バンクスの援助で植物採集探検やその整理も行った。息子のジョセフ・ダルトン・フッカーもキュ-ガーデンの園長を務めた。 ==生涯== ノーリッチに生まれた。一族には有名な神学者のリチャード・フッカーがいる。父親のジョセフ・フッカーもドイツの文学を研究し珍しい植物の栽培を行った人物である。残された個人資産はノーリッチの高校で学んだ後、各地を旅行し、鳥類学や昆虫学などの博物学の研究ですごすことができた。珍しいコケを見つけた時に相談したジェームズ・エドワード・スミスの薦めによって植物学への興味ももった。 1809年の夏、ジョセフ・バンクスに進められて、アイスランドに最初の植物採集探検を行った。その時集めた、標本や記録類や図は帰途中の船の火災で失われたが、記憶をたよりにアイスランドの住民や植物相の著書『1909年のアイスランド旅行』(Tour in Iceland, 1809)を著し、1811年に自費出版し、1813年に再刊された。 1810年から、ロバート・ブラウンリッジとともにセイロン島への探検を計画し、準備を行うが政治的な混乱から実現しなかった。1814年に9ヶ月間、フランス、スイス、北イタリアでの採集旅行を行い、翌年銀行家、ドーソン・ターナーの娘と結婚した。ヘールスワースに住み、植物学者の間で有名になった植物標本の形成に取り組んだ。1816年に最初の科学書、British Jungermanniaeを出版した。 1820年にグラスゴー大学のレジウス教授職に就任し、教師として有名になった。翌年『スコットランドの植物』(Flora Scotica)を出版した。グラスゴーの植物学者、版画家のトーマス・ホプカーク(Thomas Hopkirk)とともに、グラスゴー王立植物研究所の創立に協力した。1841年にキューガーデンの園長に就任し、キューガーデンの面積を8倍近くの30ヘクタールに拡張し、多くの温室を作った。 アブラゴケの科名(Hookeriaceae)、属名(Hookeria)やホルトノキ科の植物''rinodendron hookerianum''に名前が残されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィリアム・ジャクソン・フッカー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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