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ウィリアム・ヘンリー砦の戦い : ウィキペディア日本語版 | ウィリアム・ヘンリー砦の戦い[うぃりあむ へんりーとりでのたたかい]
ウィリアム・ヘンリー砦の戦い(ウィリアム・ヘンリーとりでのたたかい、英 Siege of Fort William Henry、仏 Bataille de Fort William Henry)は、1757年の8月に、フランスとイギリスの間で行われた、フレンチ・インディアン戦争の戦闘である。ジョージ湖南岸のこの砦の包囲戦で、兵力の乏しいイギリスは降伏し、砦を撤退することとなったが、その時、フランスと同盟していたインディアン兵による、イギリス軍への虐殺行為が起こった。この行為での死者は当初1,500人程とも言われていたが、現代の調査では、恐らく200人にも満たないと思われる〔。 ==イギリスの連敗== 1754年、イギリスとフランスとの間で、北アメリカの植民地(現在のペンシルベニア州西部とニューヨーク州北部)をめぐってフレンチ・インディアン戦争が勃発した。最初の数年間は、イギリスは特にうまく行ったわけでもなかった。1755年、エドワード・ブラドックによるブラドック遠征が、モノンガヘラの戦いで惨憺たる結果に終わり、翌1756年、イギリス軍司令部は、何ら作戦を立てることができなかった。イギリス軍は大きく後退したが、ルイ=ジョゼフ・ド・モンカルム率いるフランス軍とインディアンの同盟軍は、1756年8月のオスウィーゴ砦の戦い (1756年)で、駐屯部隊を捕囚し、砦を破壊した〔Steele, pp. 28–56〕。その一月前、1756年の7月には、ブラドックの死後、臨時にイギリス軍の指揮を執ったウィリアム・シャーリーに代わって、ルードゥーンが、北アメリカのイギリス軍の指揮官となった〔Parkman, p. 397〕。
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