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ウィリー・ウッド(William Vernell Wood 1936年12月23日- )はワシントンD.C.出身の元アメリカンフットボール選手。NFLのグリーンベイ・パッカーズでフリーセイフティとして活躍した。 == 経歴 == USC時代はクォーターバックとして活躍した。彼はパシフィック・テン・カンファレンス初の黒人QBであった。 大学卒業後、ドラフトでNFLのどのチームからも指名されなかったがパッカーズのトライアウトを受けてフリーエージェントで入団し、2年目の1961年から先発のフリーセイフティとなり1971年に引退するまで先発出場を続けた〔。 彼はリーグを代表するフリーセーフティとなり〔、1962年から1970年まで9年連続でオールNFLに選ばれ、プロボウルには1963年と1965年から1971年まで合計8回、NFLチャンピオンシップゲームには6回出場(1960年以外の5回優勝)した〔。第1回スーパーボウルの第3Q初めにレン・ドーソンのパスをインターセプトし50ヤードをリターン、第2回スーパーボウルではパントリターン5回で35ヤードを獲得した。この時見せた31ヤードのパントリターンは第18回スーパーボウルでダレル・グリーンが34ヤードリターンするまでスーパーボウル記録であった。 現役12年間で通算48インターセプト(1962年にはリーグトップの9個のインターセプトを記録した。)、699ヤードをリターンして2タッチダウンをあげると共に187回のパントリターンで1,391ヤードを獲得(1961年にはリーグトップの平均16.1ヤードを記録した。)、2タッチダウンをあげている〔〔。 現役引退後わずか2年の1973年にワールド・フットボール・リーグのフィラデルフィア・ベルのヘッドコーチに就任した。これは戦後プロフットボール史上初のアフリカ系アメリカ人ヘッドコーチであった。また1980年にはカナディアン・フットボール・リーグのトロント・アルゴノーツのヘッドコーチにもなった(CFLでも初のアフリカ系アメリカ人ヘッドコーチであった。)。 1989年にプロフットボール殿堂入りを果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィリー・ウッド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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