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ウィリー・カークランド(Willie Charles Kirkland , 1934年2月17日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州出身の元プロ野球選手(外野手)。 == 来歴・人物 == にニューヨーク・ジャイアンツと契約し、球団名がサンフランシスコ・ジャイアンツとなったにメジャー初昇格。に移籍したクリーブランド・インディアンス時代と合わせ、からまで4年連続20本塁打以上をマークした。 に阪神タイガースに入団。同年は37本塁打を放ち、主軸打者に定着。以後6年間在籍し、阪神には少ないホームランバッターとして貴重な存在だった。特に対巨人戦になると活躍し、には外国人史上初の1イニング2本塁打、には1試合3本塁打を記録した。その反面、引っ張り専門のバッティングで三振も多く打率も.250前後であった。 野手での6年の在籍は、ランディ・バース、マット・マートンと並び最年長の在籍である。 いつも、「爪楊枝」をくわえてプレーをする姿が当時人気のあった「木枯し紋次郎」に似ていることから「モンジロー」というニックネームでファンに親しまれた。 日本での最後の打席は、10月22日の対巨人最終戦、9回裏2死から阪神最後の打者となり、高橋一三の前に三振を喫した。この直後、阪神の惨敗に怒った観衆が暴徒と化してグラウンドに乱入するという事件が起きた。 掛布雅之の前に背番号31を着けていた選手でもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィリー・カークランド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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